基本情報
住所 | 静岡県浜松市浜名区三ヶ日町都筑3449 |
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五畿八道 令制国 | 東海道 遠江 |
アクセス | 天竜浜名湖鉄道都筑 徒歩17分 |
地図 | |
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電話番号 | |
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公式サイトURL | |
営業時間 | |
築城年 | 貞和4年(1348)頃 |
築城者 | 浜名左近大夫清政 |
歴代城主 | 浜名氏(清政・詮政・満政・持政・政義・政明・頼親・正信・正国・頼広) 本多氏(信俊・信勝) |
代表紋 | 未登録 |
天守の種類 | |
天守階数 | |
天守形式 | |
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城 |
廃城年 | 天正11年(1583) |
指定文化財 | 浜松市指定史跡 |
歴史・沿革 | 貞和4年(1348)頃 浜名左近大夫清政が築城
長享元年(1487) 浜名政明、上洛。佐々木高頼征伐に従う 大永2年(1522) 連歌師・宗長が来訪 永禄3年(1560) 浜名正国、桶狭間の戦いに従軍 永禄12年(1569) 2月 浜名頼広、家康と敵対して甲州に出奔 天正11年(1583) 廃城 猪鼻湖の東岸、大崎半島の北面中央、標高11.5mの半島台地に位置し、北西の2面が湖に面し、東南2面が複雑な谷間を縫って小道で東方の集落に通じている。 現存するのは本郭、南郭のみで、侍屋敷などは現存していない。 本郭、南郭の2郭よりなり、本郭は南北60m、東西30mの楕円形で、西北側は湖面に削立し、東南部に入口があり、馬出型の郭に接している。南郭は東西40m、南北60mの郭で本郭の南側にある。本郭と馬出の間に幅15m深さ10mの掘割、南郭と馬出の間に幅15m深さ10mの掘割がある。なお、本郭の東側、南郭の北側は低地で水田となっていて、字御馬という厩舎などの跡と思われる。本郭の東側、南側には敷8m、馬踏3-4mの芝土居で囲まれている。馬出の東南西の3方も同様の土居で囲まれている。南郭の北側は幅20mに渡り削平され、-2mに及んでいる。 本城の形態は平山城で半島の突端にあり、根小屋的遺構は認められず、南郭の東側は狭隘地で大手木戸口はこの辺りに所在したと思われる。 軍事的に考察するに、南北朝初期の築城で湖岸の要害を選んだ防御的主眼の構築と推察され、東大手口をたずねていくと現在でも行方を失うことしばしばという迷路配備の戦略的配慮が覗われる。 城主・浜名氏は鎌倉初期以来浜名神戸庄の地頭であり、初めに鵺代にいて、南北朝初期に現在地へ城郭を営んだので、あくまで軍事的配慮と考えられ、浜名湖北方水域の掌握の意図もあって大崎半島に移ったと思われる。支配の中心は北方・浜名神戸の陸地においたと考えられる。 |
お城情報 | |
更新情報 | 【
最終
更新者】管理者 【 最終 更新日時】2024/03/11 20:42:12 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 3.0
登城日:
2023年12月13日
(本多百助さん) おすすめ度: ★★★ <今回の散策コース> 東急リゾートタウン入口→ 佐久城公園(馬出郭→本廓→搦手→湖畔→本廓→南郭) 室町時代初期・南北朝の動乱で浜名地域はかなり激しい争いがあったと考えられます。元は平野部に館があったのですが、堅固な城が必要となり、ここに築城したものと考えられます。奥浜名湖の水運も監視でき、軍事的、経済的に有利な場所だったのでしょう。 現在は本郭、馬出郭、南郭が残っています。室町初期に築城されたにしては、空堀は深く、土塁は高いです。馬出という防御施設も武田氏の技術なので、本多氏が入った時に改修があったのではないかと思います。土塁、空堀とかなり良好に遺構が残っており、小さな土の城の割りには、見所が多いです。 |