(もうりやしき)

毛利屋敷(すずがき小屋)

基本情報

住所 神奈川県愛甲郡清川村煤ヶ谷1442
五畿八道 令制国 東海道 相模
アクセス
地図

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電話番号
FAX番号
公式サイトURL
営業時間
築城年
築城者 毛利景行
歴代城主 毛利景行
代表紋 未登録
天守の種類
天守階数
天守形式
曲輪構成
縄張形態 平城
廃城年
指定文化財
歴史・沿革 毛利荘領主毛利景行の館跡と伝わる。景行は、一般に知られる大江姓毛利氏以前の荘園領主であり、その出自については定かでない。

上杉和彦「日本中世の伝承と相模国毛利荘」(『文化継承学論集 第三巻』)によれば、伊豆山権現経塚に埋納された承安二年(1171)の和鏡に「藤原景行芳助平氏 相州下毛利」とあり、景行が藤姓であったものと推測している。
          
他方、「平氏」の表記もみられ、平良文流の諱には「景」の字が多く使用されていることから平姓である可能性もあろうかと思われる。
           
景行は、建暦三年(1213)の和田合戦に際して和田義盛方につき、敗れて子の小太郎・小次郎とともに討ち死にした。戦後、毛利荘は大江広元に与えられ、広元の四男季光が荘園を継承して大江姓毛利氏の祖となった。景行の毛利屋敷のその後については不明である。
お城情報 宮野の森と呼ばれる小丘と御門橋の間の小字「御所垣戸」に、毛利屋敷はあったとされています。

比定地一帯は2本の小沢に挟まれたごく緩やかな斜面上に位置し、現在はかなり広々とした茶畑となっています。

遺構も何もありませんが、ここに開発領主の居館があった蓋然性は十分にあるものと思われます。
           
宮野の森は、地図で一見すると詰城等にはちょうど良い独立丘のように見えます。ですが、これは県道64号線の深い切通しによるもので、もともとは西から緩く長く続く峰の先端部といった感じです。この丘の上にまで城館施設が及んでいたとはちょっと考えにくいです。
更新情報 【 最終 更新者】匿名城主
【 最終 更新日時】2025/09/21 17:08:10
 
※お城や神社、お寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々はこちらよりお気軽にご相談ください。

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