基本情報
| 住所 | 埼玉県春日部市金崎 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
| アクセス | 東武野田線南桜井 徒歩13分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 戦国時代末期 |
| 築城者 | 石川幸道 |
| 歴代城主 | 石川幸道 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | 水堀 |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 石川屋敷は松伏町に屋敷を構えていた石川民部の分家の屋敷である。 初代の石川民部幸道は大井氏を名乗っていたが、本家と同じ石川姓を名乗り、この土地に屋敷を構えて周辺の開拓に従事したという。 近世は名主階級という家柄で豪農として近代へ至った。 |
| お城情報 | 石川屋敷に訪れたのは青々とした快晴の日だった。時分が訪れたときは屋敷跡を囲む水田には水が張られ、ちょうど田植えが始まった頃だった。 中世の土豪屋敷の雰囲気をよく残しており、屋敷の周囲には草に覆われていたものの素晴らしい水堀が残っていた。 埼玉県内にはこうした豪農屋敷が今も多く残されているが、その風景はとても良いもので、訪れる者を過去へいざなうような気持ちにさせてくれた。 石川屋敷と周辺の風景は中世の武士たちが暮らす屋敷の姿を教えてくれるようでもあった。 おそらく石川氏屋敷はもう破壊されてしまったと思う。 自分が訪れたときの石川屋敷は開発される前で、話に聞いていたとおりの美しい風景が広がっていた。いつまでも残したい日本の風景だと思ったものだった。それから数年後、航空写真を眺めていると石川屋敷が開発されていることを知った。 屋敷森は伐採され江戸時代の建築だった母屋もすべてなくなっていた。水堀も埋められて更地となり、開発に晒されるのを待っているという姿だった。 それから数年が過ぎて今では完全に失われてしまい、殺風景な資材置き場のようになっていた。 貴重な郷土遺産として保存をすれば良いものだが、4百年もの長い時を経て受け継がれてきたものを無神経に壊すという考え方が自分にはわからない。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】匿名城主 【 最終 更新日時】2025/10/06 00:58:31 |





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