基本情報
| 住所 | 埼玉県比企郡吉見町御所1 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス | JR高崎線北鴻巣 徒歩56分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | |
| 築城者 | 中川八郎左衛門 |
| 歴代城主 | 源範頼? 中川八郎左衛門 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | 空堀、水堀 |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 御所という由緒あり気な地名から貴人の居館が置かれたと考えられている。 吉見の貴人と言えば源範頼がいて、吉見町史でも御所陣屋を範頼が構えた居館の候補地としているが、範頼の居館としては横見神社の南にある息障院のほうが有名である。 距離的に言うと歩いて5分ほどの位置関係にあり、どちらも源氏の御曹司である範頼の館にしては手狭な印象を受ける。 範頼の子孫は吉見氏を名乗っているが、それ以前にも下野の豪族小山政光の子に朝信が、吉見太郎頼茂の養子となり吉見二郎頼綱と名乗っているので、平安時代から当地を拠点とした吉見氏の居館が置かれていた可能性がある。 江戸時代初期には徳川家の旗本中川八郎左衛門が横見郡の代官として陣屋を構えていたとされる。 八郎左衛門は旧武田家臣の今井忠昌の子で中川家の養子として迎えられたが、天和2年(1682)に年貢の調達が滞り切腹を命じられ家名は断絶した。 |
| お城情報 | 吉見町に御所という土地がある。 ここには源範頼館跡とされる息障院があり、それが御所という由々しき地名の由来となっている。 北にある横見神社も源範頼館の候補地であり、かつては石碑まで建てられていたという。 15年ぶりに範頼館と御所陣屋を訪ねてみた。前回は5月だったが、真夏を思わせるような暑い日だった。 横見神社を囲むように堀が残っており一部で折れを見せている。前回は雨上がりだったのか堀に水が溜まって良い雰囲気だったが、その堀も今ではコンクリートで側面を固められていた。 これらの遺構か城館に関連するものかは少し判断に迷うが、堀底を歩いてたどるのはとても楽しかった。 北の水田から眺める風景はまるで水に浮かぶようで城館らしい雰囲気が感じられた。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】匿名城主 【 最終 更新日時】2025/10/07 23:39:21 |





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