基本情報
| 住所 | 埼玉県秩父郡横瀬町横瀬 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス | 西武秩父線横瀬 徒歩6分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 戦国時代 |
| 築城者 | 永田外記 |
| 歴代城主 | 永田外記 |
| 代表紋 |
未登録
|
| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | 郭・土塁・堀切 |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | 横瀬町指定史跡 |
| 歴史・沿革 | 古御嶽城は山内上杉氏に仕えた永田氏が守った城という。 天文15年(1546)の河越夜戦で北条氏に敗れた上杉憲政が古御嶽城の永田外記を頼り、憲政を守るために防戦した永田外記は討死したという伝承が残されているが、これが真実かどうかはわからない。 いかにも土豪が築いたような規模の小さな山城でもあり、あるいは伝承は事実を伝えているのかもしれない。 |
| お城情報 | 横瀬根古屋城は何度か訪れているが、古御嶽城へは訪れる機会がなかった。 その存在は昔から知っていたが、登山道も明確でないために登る勇気がなかった。それから自分も秩父の山城はかなりの数を登り、場数を踏んで自信もついたので古御嶽城へ登ることを決めた。 平成26年の関東地方は記録的な大雪に見舞われた。2月に訪れたときは積雪があり、城跡の真下にある岩場まで来たところであきらめた。登ることはできるだろうが、安全に下山する自信がなかったため無念の撤退を決めた。それから半月ほど待って再び古御嶽城へ登った。雪は残っていたものの前回よりはずっと歩きやすい。因縁の岩場まで来たが無事に登攀することができた。 鉄塔保守用の階段から登るとちょっとした平場がある。湧水があり動物たちの水飲み場になっているのだろう。熊や猪に注意しながら進むのだが、警戒心が強くなっているせいか、尾根までの道のりが遠く感じたものだった。 ちょうど10年を過ぎて再び古御嶽城を訪ねた。雪に覆われていない状態の城跡を見ておきたいという衝動に駆られた。 前回と同じように鉄塔保守道から登ったが、階段はもう朽ち果ててしまいほとんど直登を強いられた。 鉄塔を過ぎて一度下ってから尾根へ取りつき、しばらく登ると小さな平場があるが、城跡との距離を考えればこの平場が城兵の居住区だったと思う。 さらに登ると岩場へと行きあたる。細いロープが木に括られているので、それを頼りに岩場を登り詰める。苔に足を取られないように慎重に登ると岩尾根が続く。ここからは道らしい道はなく、転げ落ちると山麓まで止まらないほどの傾斜なのでさらに慎重になった。 山頂が近づくと九十九折れの道が現れ二の郭へと至る。北側には二段の腰曲輪を従えた細長い曲輪である。 信仰の対象となった山なので石碑がいくつも建っている。石が積まれているのは山岳信仰のものであり山城の遺構ではない。 岩盤を掘削した堀切1を越えると主郭であり、ここに古御嶽城の標柱が建っている。標柱を運びながら急な山道を登るのはさぞかし大変だったと思う。 尾根の北側に向けて竪堀が落とされ、これも岩盤を削った堀切2が出現する。堀幅は堀切1よりも大きいが深さはたいして変わらない。堀切2を過ぎるとかなり浅くなっているが堀切3がある。今回は雪もないので大机山へ続く尾根を少しだけ歩いてみたが、この堀切から先に城郭遺構は見当たらないので堀切3までが古御嶽城となる。 古御嶽城は小さな山城だが岩盤を削った堀切がとても印象深く、必要最小限の土木作業で構築されている。 雰囲気が良く岩登りの緊張感も味わえるため、秩父の山城の中でも特に印象に残る。知名度で言えば無名に近い城だが、昭和48年に文化財登録されていることを標柱で知り驚いたものだった。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】匿名城主 【 最終 更新日時】2025/10/06 00:20:38 |





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