基本情報
| 住所 | 神奈川県小田原市南町 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 |
東海道 相模 |
| アクセス | 箱根登山鉄道線箱根板橋 徒歩7分 |
| 地図 | |
|
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 戦国時代 |
| 築城者 | 山角氏 |
| 歴代城主 | 山角氏 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 北条氏に仕えた山角四郎左衛門定吉の屋敷跡である。 山角氏は伊豆の豪族工藤氏の末裔と称し、足柄の山角出身または山城国山角出身とも伝わる。 最初は大道寺氏を称していたが、伊勢新九郎に仕えて東国へ従ったという。これは早雲が徒手空拳で素浪人から成り上がった人物とされてきた時代に、その家臣たちも同様に早雲を盟主と仰いで立身出世したという伝承に基づいた話だろう。 ともかくも山角氏は北条氏の中でも古参であり、山角対馬守定澄が早雲に仕え、子の四郎左衛門定吉も馬廻として北条氏に仕えた。 山角一族は石高こそ少ないが家中で重用されており、天正18年(1590)の北条氏滅亡後は一族の多くが徳川家の家臣となった。 |
| お城情報 | 小田原城を散策し北条氏時代の外郭を訪ねようと丘陵地帯へ足を向けた途中、国道1号線沿いに旧町名を刻んだ石碑が建ち、見ると山角町と刻まれていた。 聞き覚えのある名前なので碑文を読んでみると、やはり北条氏の家臣山角氏の屋敷が由来となっていた。 山角氏の先祖が小田原に屋敷を与えられたときに、山の角にあたる位置なので山角氏を称したとか、逆に山角氏の屋敷があったことが町名の由来になったとか、伝承が入り混じりどちらがどちらとも言えない。 当然のように遺構などはないが、古い町名を探るのもまた楽しいもので、時には思いがけない発見もあって面白い。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】匿名城主 【 最終 更新日時】2025/09/19 16:38:58 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 1.0|
登城日:
2025年9月21日 15:18
(影武者さん) おすすめ度: ★ 屋敷跡だけに唯の住宅街。近くの違う石碑を撮った | |||
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登城日:
2025年9月21日 15:07
(マリリさん) おすすめ度: ★ 遺構なし |





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