基本情報
| 住所 | 埼玉県比企郡鳩山町熊井598 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス | JR八高線明覚 徒歩35分 |
| 地図 | |
|
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。 | |
| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 平安時代末期 |
| 築城者 | 熊井忠基 |
| 歴代城主 | 熊井忠基 |
| 代表紋 |
未登録
|
| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | 郭・土塁・空堀 |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 平安時代末期に熊井太郎忠基の居城があったと伝わる。 忠基は源義経に仕えて一ノ谷の戦いにも参戦したとされる武士だが、河越太郎重頼の郎党であったという伝承も残っている。 義経は重頼の娘を正妻としていたからその縁で義経に仕えるようになったのだろう。義経が兄の源頼朝の不興を買い都落ちしたときには忠基もそれを追って奥州の藤原秀衡のもとへ赴いている。 文治5年(1189)の衣川の戦いにも忠基の名は見られるが討死したか落ち延びたのかは伝えられていない。 |
| お城情報 | 埼玉県下の城館跡はほとんど訪ね歩いているつもりでいたが、比企郡鳩山町だけは訪れたことがなかった。 車で通過したことは何度もあるが、目ぼしい城郭が残っていないことと鉄道路線がなくバスの運行も不便なことから行こうという気にならなかった。その中で熊井城だけは伝承が残されており多少の遺構も残されているというので訪ねてみることにした。 久しぶりに訪れた越生はずいぶんと遠く感じた。山吹の里を訪ねてから熊井城まで歩いたが40分ほどで着いたと思う。 妙光寺の境内とその裏山に跨る範囲が熊井城ということらしいが、境内にある由来碑には確かに熊井氏のことが刻まれていた。 裏山へ入るのは造作もないことだが不法侵入を疑われても嫌なので林道から正攻法で登ってみた。ネットが張られて入山禁止と書かれていたので敢えて中へ入ることはしなかったが意外ときれいな削平地が残されている。 これだけではつまらないので地図を見ながら丘の最高所まで歩いてみた。猛烈な藪でとても入れるような感じはしなかったが土塁らしい盛り上がりが確認できる。 丘を仕切る里道が空堀とされる遺構なのかもしれない。てっぺんまで来たところで作業中の男性がいたので尋ねてみたが熊井城のことは知らないという。ここまでで散策を打ち切り越生駅へ戻ることにした。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】匿名城主 【 最終 更新日時】2025/10/05 04:07:37 |





未登録









日別アクセスランキング


新着更新









お城ニュース


