基本情報
| 住所 | 神奈川県小田原市早川 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 |
東海道 相模 |
| アクセス | JR東海道本線早川 徒歩3分 |
| 地図 | |
|
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 戦国時代 |
| 築城者 | 北条氏 |
| 歴代城主 | 北条氏 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | 曲輪 |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 笠懸山城は戦国時代に北条氏が築いた小田原城の支城のひとつとされている。 おそらくそれ以前には大森氏による砦が構築されていたと思われる。箱根の外輪山へ続く道筋を監視する役割で構えられたのだろう。 天正18年(1590)に豊臣秀吉が北条氏の居城である小田原城の攻囲戦を開始すると、それまで早雲寺に本陣を構えていた秀吉は笠懸山城に陣城の構築を始めた。 世に言う石垣山の一夜城であるが、この巨大な陣城の築城により笠懸山城はその一部に取り込まれて出丸が置かれた。 古城を取り込んだというだけで笠懸山城には石垣山城に見られるような石垣は用いられていない。 |
| お城情報 | 石垣山城の西曲輪沿いを通る道路に沿って歩くと道が細くなり、周囲は鬱蒼とした森林に包まれる。竹藪と雑木が生い茂る中に一段低くなった地形があるが、これが大堀切と呼ばれる石垣山城とその出丸を隔てる堀切である。 笠懸山城は一部が農地となり、大部分は藪に覆われている。史跡範囲からは外れた私有地のようなので立ち入ることはできないが、道路沿いから曲輪のような地形は観察できる。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】影武者 【 最終 更新日時】2025/09/21 23:48:17 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 2.0|
登城日:
2025年9月21日 16:31
(影武者さん) おすすめ度: ★★ 小田原征伐の時、秀吉が有名な一夜にして城に作ってしまった一夜城は、笠縣山を石垣山城に作り変えたもの。笠縣山城は土塁だったが、関東では初めての本格的石垣で作り変えたので、山の名前も石垣山に変わってしまった。 |





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