基本情報
| 住所 | 島根県鹿足郡津和野町河村 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 |
山陰道 石見 |
| アクセス | JR山口線日原 徒歩25分 |
| 地図 | |
|
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 鎌倉時代末期 |
| 築城者 | 下瀬頼右 |
| 歴代城主 | 下瀬頼右 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | 曲輪、空堀 |
| 縄張形態 | 山城 |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 下瀬山城は、鎌倉時代末期に三本松城(津和野城)主吉見頼行の次男下瀬頼右によって築かれた。下瀬山城は、三本松城の重要な支城とて機能し、天文23年に吉見正頼が大内義長・陶晴賢に叛旗を翻した時、大内方の益田氏に攻められたがこれを撃退している。 慶長5年、毛利氏に従っていた吉見氏は関ヶ原の合戦後この地を退去したため、吉見氏の勢力下にあった諸城ともに廃城となった。 |
| お城情報 | 下瀬山城は、東に高瀬川、西から北に程彼川が流れ城の天然の堀となっている要害地、下瀬山の山頂に築かれた城だ。 搦め手口の曽庭からの登城道から登城開始するが、ブッシュだらけとなった登城道は途中で無くなり、折からの降雨もあって撤退を余儀なくされた。(町の史跡ならばせめて道しるべだけでも整備してもらいたいものだ。)資料によれば、搦手曲輪郭、本丸、大手曲輪と連郭式に曲輪が配置され、堀切や建物の礎石も残っているとか。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】匿名城主 【 最終 更新日時】2025/09/05 13:16:32 |





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