基本情報
| 住所 | 埼玉県児玉郡上里町神保原町 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス | JR高崎線神保原 徒歩9分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 平安時代末期 |
| 築城者 | 志水光俊 |
| 歴代城主 | 志水光俊 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 丹党志水氏の居館跡である。 志水氏は小島四郎重光の子光俊が志水を本貫地と定め、志水三郎と名乗ったことに始まる。 志水は清水に通じ木曾義仲の嫡男義高も志水冠者と呼ばれた。 織田信雄に仕えた土方雄久も元は志水姓で清和源氏の末裔を称している。 徳川家康の側室お亀の父志水宗清も尾張志水氏の出身だが、丹党志水氏についてはその後裔の活躍は聞かれない。 |
| お城情報 | 埼玉県内の城館探訪は自分のライフワークなので、遠征するような気分になれないときは武蔵野を歩き回ることにしている。年齢を重ねて体力と気力の低下も感じるが、今後もこつこつと続けていきたい。 本庄市は10代の頃から時々出かけている土地だが、駅から遠い城館はまだ訪ねていないものが多く、破壊されないうちに見ておきたいという使命に駆られて訪れてみた。 最初に訪ねたのが丹党志水氏の館跡であるが、圃場整備ですっかり跡形もない。 昭和30年代の航空写真を見ると方形の区画がまだ残されており場所の特定はできた。 あちこち訪ねてみて思うことは、昭和40年代に埼玉県の平野部は大規模な圃場整備があちこちで行われたようで、それまで遺構が残っていた鎌倉武士たちの居館もきれいさっぱりと消失した。 トラクターを使用するのに不整形な田園は適さないため、条里制のような形の田んぼばかりになったのは仕方がないが、遺構が残されていた時代を見てみたかったと思う城館も多数ある。 航空写真で往時の様子を調べてみるのは楽しいが、やはり目の前に広がる遺構を見て歩き、映像として残しておきたかったと思う。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】匿名城主 【 最終 更新日時】2025/10/06 01:54:00 |





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