基本情報
| 住所 | 島根県雲南市加茂町大西・大東町仁和寺 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 | 山陰道 出雲 |
| アクセス | JR木次線加茂中 徒歩8分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 天文年間(1532~55) |
| 築城者 | 鞍掛近江守次郎四郎源久光 |
| 歴代城主 | |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | 郭、腰郭、帯郭、堀切、虎口、井戸等 |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 麻城は佐世城のある下佐世地区より北方へ向い、斐伊川の支流・赤川を越えた加茂町と大東町にまたがる高麻山に築かれた山城である。 高麻城は、戦国期尼子氏の居城・月山富田城を支える「尼子十旗」の一つで、10番目の支城として位置づけられた。 築城されたのは天文年間となっているが、もともとこの地域は大西荘として地頭職である飯沼氏が治めていたところである。 加茂町誌によると、隣の大東一部地頭を治めていた飯沼四郎の子が、この大西荘を領し、当地名を名乗って大西を姓としたものであろう、としている。 では、冒頭に示した築城者・鞍掛氏とはどういう関係なのか、という疑問が出てくる。加茂町誌によると、鞍掛氏の名が見えるのは、天文3年(1534)加茂神社に「高佐城主・鞍掛近江守源久光再建」とある寄進(状)と、「備前国住横山左近将監友成」在銘の刀一刀が奉納されている。 「鞍掛」の名は現在の仁多郡大字三沢(現奥出雲町)の通称で、上・下鞍掛として残り、明治初年まで鞍掛村があった。そのことから、鞍掛氏は元々三沢城の一族で、高麻城を領し、後に「転封された」と記している。 このことから、高麻城の城主は鞍掛氏から大西氏へと変わったということなのだろう。また、妹尾豊三郎編書「尼子盛衰人物記」では、「結局この山に拠った城主は、はじめ鞍掛氏を名乗り、それが後に大西氏と変わったものだと考えられる」と記している。 |
| お城情報 | 特に鞍掛氏については、現在当地加茂町から北西に隣接する斐川町に、福間家があり、同氏は鞍掛氏の末孫といわれている。 「高麻の城主・鞍掛次郎四郎源久勝なる者、落城の際、当地に流浪したる…」と伝え、さらに隣接の宍道町(松江市)の多根家では、その祖・多根惣右衛門は、鞍掛近江守の家老で、惣右衛門は佐々布(さそ)川の川尻湖水の辺りに住み、その地を加茂分けといい、守護神として加茂大明神を屋敷の南に祀ったといわれている。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】匿名城主 【 最終 更新日時】2025/09/05 18:32:44 |








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