(とばりくえもんたねふさやかた)

戸張九右衛門胤房館

基本情報

住所 埼玉県吉川市吉川
五畿八道 令制国 東海道 下総
アクセス JR武蔵野線吉川 徒歩21分
地図

※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
電話番号
FAX番号
公式サイトURL
営業時間
築城年 戦国時代
築城者 戸張胤房
歴代城主 戸張胤房
代表紋 未登録
天守の種類
天守階数
天守形式
曲輪構成
縄張形態
廃城年
指定文化財
歴史・沿革 戸張氏は相馬氏の一族であり、相馬師常の子行常が葛飾郡戸張郷を拠点として戸張八郎と名乗ったことを起源とする。

今も柏市に遺構を残す戸張城は戸張氏代々の居城である。戦国時代まで戸張氏は下総で命脈を保っていたが、天文7年(1538)の国府台合戦で小弓公方足利義明に与して敗れて戸張郷を去り、簗田氏を介して古河公方足利義氏に仕えて吉川郷に館を構えた。

古河公方が北条氏の傀儡と化した後は北条氏に仕え、戸張九右衛門胤房が吉川村の所領を得ていたことがわかる。

天正18年(1590)の小田原の役で北条氏が滅びると、胤房の嫡子胤久は徳川家康に召し抱えられ幕臣として駿府城へ詰め、吉川郷に残った戸張氏は名主として存続した。
お城情報 久しぶりに仲間と休みを合わせて吉川で川魚料理を食べようということになった。以前にも同じ顔ぶれで鯰料理を堪能したが、今回も同じ店で昼間からビールを飲みながら、鰻重や鯰の天ぷらと鯉の洗いに舌鼓をうった。

かなり早く着いてしまったので、一人で吉川の街並みを楽しんだ。予報は雨で雷雨ということだったが、幸いにして快晴となり日焼けが気になるぐらいだった。

吉川駅から20分ほど歩くと吉川氏館と伝わる延命寺があり、そこから5分ほどで戸張氏の館跡がある。どちらも遺構は残っていないが、延命寺には戸張氏一族の墓地があり、付近には今も戸張姓の人々が数多く暮らしている。
更新情報 【 最終 更新者】匿名城主
【 最終 更新日時】2025/10/05 04:12:43
 
※お城や神社、お寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々はこちらよりお気軽にご相談ください。

みんなの登城記録

みんなのおすすめ度 0.0

みんなの御城印

みんなの動画

自分の登城記録

まだ登城記録が登録されていません

自分の御城印

まだ御城印が登録されていません

自分の動画

まだ動画が登録されていません

近くのお城

近くの神社・お寺

このエントリーをはてなブックマークに追加 フォローする

通報

※「情報が異なる」「迷惑情報」を発見された方は、通報するを押してください。

お城検索

※は必須です
 
 
*
 
 

サイト内全検索

最近検索されたお城

久玉城  笹尾山(石田三成陣地)  難波高津宮  難波大隅宮  軽島豊明宮  粟原城(鷲宮城)  谷口環濠屋敷  無量寺館  大串次郎重親館  御所陣屋  木曾殿館  谷津城(谷ツ遺跡)  慈光寺  玉川堀ノ内館  玉川陣屋(玉川代官屋敷)  大山館  八幡谷館  北館(北遺跡)  細田山城  金窪南城(金窪南館)  金窪城(太瑯城・金久保城)  勅使河原丹次郎直次館(勝場城)  長浜三郎信光館(長浜城・浮浜城)  志水三郎光俊館  井上将監信貞屋敷  九左衛門屋敷  次郎兵衛屋敷(多田新十郎屋敷)  春日部左衛門尉重行館  石川屋敷  松永源太左衛門屋敷(源太山)  地蔵院館  島村屋敷  高野城(高野浅間台城)  才羽陣屋  豊後屋敷  細谷屋敷  横瀬六郎左衛門屋敷  朝日長者屋敷(日向館)  古御嶽城  大博士城  鏡島城  城田寺城  下麻生城  阪本城跡  小室陣屋  只越城  西大平陣屋  田宮館  柿木大膳館  矢古宇五郎館  新屋敷  大井五郎大夫家綱館  長宮城  福岡城(富永善左衛門守定館)  吉川三郎館  熊井城  竹間沢城  吹上館  白子城山  松尾城  人見館跡  皿沼城  別府城  東方城  星崎城  堤本地城  青蔭城  片山右馬允広忠館  野火止陣屋  狛江館  三塚城  高木大塚  那須城  三木城  中川城  二宮氏館  大神陣屋  遠山氏屋敷  矢名氏館  和田屋敷  上粕屋陣屋  福田陣屋  大岡氏陣屋  沼浜館  藤原乗国館  町屋陣屋  伊丹屋敷  関代官屋敷  神奈川奉行所  上依知城山(上依知城)  尾壺山  浮気  田屋城  後藤館  木浜城  金ケ森城  関津城  細川城  泰ノ山城  立山城 

何を投稿しますか?