基本情報
| 住所 | 京都府京都市上京区上立売通烏丸角 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 | 畿内 山城 |
| アクセス | 京都市烏丸線今出川 徒歩2分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 南北朝時代 |
| 築城者 | 足利尊氏 |
| 歴代城主 | 足利将軍家 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | 御所 |
| 廃城年 | 1559年 |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 足利将軍家の邸宅。 元の室町家の花亭と今出川家の菊亭を併せて1つの敷地としたため、広大な敷地を有する邸宅となった。 現在の同志社大学今出川校地の烏丸通を挟んで向かい側の場所にある同志社大学・寒梅館以南に位置していた。名残としては、邸内に建てられた岡松殿に始まる大聖寺が現存する。 室町通に面して正門が設けられたことから室町殿、室町第とも呼ばれた。この将軍の居所にちなんで足利将軍(家)の事を「室町殿(室町家)」と呼ぶ時もある。更に古くより将軍の居所は「幕府」と呼ばれる事があり、すなわち「室町幕府」である。 江戸時代中期より武家政権の名前として幕府の用語が使われるようになり、足利家の政権を「室町幕府」と呼称するのはこれに由来している。また、北小路室町にあることから北小路亭とも呼ばれた。ちなみに北小路とは現在の今出川通のことである。 南北朝時代、後醍醐天皇と対立して京都に武家政権を開いた足利尊氏は、北朝を後見するため二条高倉に住み、2代将軍の足利義詮は父の命で鎌倉から京都に戻った際に足利直義が住んでいた三条坊門第に入った。 この時の邸宅は観応の擾乱で焼失したために近くに仮の邸宅を置いていたが、将軍就任後に元の三条坊門第は、直義の鎮魂のために八幡宮とすることになり、自分はその東隣に新たな三条坊門第を造営した。八幡宮は現在の御所八幡宮のことである。 花の御所と足利家との関係は足利義詮に始まる。義詮は、室町季顕から、その邸宅である花亭を買上げて別邸とし、のちに足利家より崇光上皇に献上された。崇光上皇の御所となったことにより花亭は「花の御所」と呼ばれるようになったが、しばらくして使用されなくなった。 |
| お城情報 | 安土桃山時代には、現在の京都御苑の北半分に公家町が形成された。戦乱の時代が終わり諸国に避難していた公家たちが戻り始めると、それだけでは手狭となり、南部や烏丸小路以東、北小路(今出川通)以北にも公家町は広がりを見せる。 江戸時代には花の御所がかつてあった敷地に、公家の裏辻家と錦織家が設立された。ただし大通りである今出川および室町通に面しては、商いを営む奥行きの浅い町人の町屋があったようである。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】匿名城主 【 最終 更新日時】2025/08/28 06:24:02 |








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