基本情報
| 住所 | 神奈川県愛甲郡清川村宮ヶ瀬1644 |
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| 五畿八道 令制国 | 東海道 相模 |
| アクセス | |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | |
| 築城者 | 矢口信吉か |
| 歴代城主 | 矢口信吉か |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | 削平地 |
| 縄張形態 | 平城 |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 正平十三/延文三年(1358)、新田義貞の子義興が多摩川の矢口渡で討ち死にすると、その家臣であった矢口信吉は、残った郎党を率いて宮ケ瀬村の奥地へと逃れた。 長者屋敷は、応永年間(1394~1427)に建てられた矢口氏の居館と伝わる。 矢口氏はここで砂金採集や牧畜を行い、山越えの交易ルートを開いて長者と呼ばれるほどの財を成したといわれる。 あるとき、宮ケ瀬の村人が川上から流れてくる漆塗りのお椀を見つけた。これによって長者屋敷の存在が露見し、矢口一族は村人による落ち武者狩りに遭って滅んだと伝わる。 信吉は屋敷の北の御殿森まで逃れたところで自害し、ハタチ沢は二十歳になる信吉の娘が殺害されたところとされる。 ちなみに、今は宮ケ瀬ダムの湖底に沈んでいる旧宮ケ瀬村馬場地区には「表の屋敷」と呼ばれる一画があり、やはり応永年間に津久井郡青野原村からこの地を開拓しに移住してきた井上某の屋敷跡とする伝承がある。ダム建設にともなう発掘調査の結果、「表の屋敷」からは江戸時代前期の方形館跡が検出された。表の屋敷に隣接する「長福寺跡」からは、中世の屋敷跡が発掘された。井上氏について、詳細は不明である。 |
| お城情報 | |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】匿名城主 【 最終 更新日時】2025/09/21 17:05:02 |








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