基本情報
| 住所 | 埼玉県比企郡嵐山町杉山 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 | 東海道 武蔵 |
| アクセス | 東武東上本線武蔵嵐山 徒歩27分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | |
| 築城者 | 村山党金子氏? |
| 歴代城主 | 村山党金子氏? |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | 郭・土塁・空堀 |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 谷津城の歴史は不明であり城跡の所有者である家にも伝承は残っていないという。 付近に金子家の墓地があるので村山党金子氏の一族が拠った城ではないかと思う。杉山城にも金子氏が拠ったという伝承が残されているので、室町時代の山内上杉氏と扇谷上杉氏が争った時代に築かれた陣城のひとつとして金子氏が守ったのではないだろうか。 |
| お城情報 | 谷津城が城跡と確認されたのは1980年代のことである。 関越自動車道の嵐山小川インターチェンジの建設で谷津城の西側が予定地となったために発掘調査が行われて堀切が確認されたという。 今も谷津城の北側に残る沼地に堀切の一部が残されているらしい。 南側にコンクリートで舗装された道が一直線に伸びているので楽な気持ちで登ったが、ほとんど人が入っていないようで途中から雑木の枝や蔓が絡まりつき、木に捕まろうとしても鋭利なトゲが生えた木であったりと難渋を極めた。その先は猛烈な藪が7メートルほど続き、やっとの思いで曲輪内へとたどり着いた。 多少は藪が薄らいではいるがそれでも見通しは悪くせっかくの土塁も切岸も撮影するとよくわからない。平場が2つ並び低い土塁がそれを隔てている。 取り立てて特徴もなくやはり比企郡の数多く残る一時的な使用のために築かれた砦程度の規模を持つ城である。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】匿名城主 【 最終 更新日時】2025/10/06 05:27:13 |








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