基本情報
| 住所 |
神奈川県愛甲郡愛川町中津2215 |
| 五畿八道 令制国 |
東海道 相模 |
| アクセス |
JR相模線番田 徒歩34分 |
| 地図 |
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※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
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| 電話番号 |
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| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 営業時間 |
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| 築城年 |
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| 築城者 |
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| 歴代城主 |
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| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 |
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| 天守階数 |
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| 天守形式 |
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| 曲輪構成 |
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| 縄張形態 |
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| 廃城年 |
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| 指定文化財 |
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| 歴史・沿革 |
旗本鈴木喜左衛門重成の陣屋とされる。重成は慶安年間(1648~51)から寛文年間(1661~72)にかけて六倉の代官を務め、中津原台地の開拓に尽力したとされる。
『新編相模国風土記稿』によれば、陣屋は元禄年間(1688~1704)に廃された。 鈴木氏については、地元六倉の土豪出身とされる。『日本城郭大系』によれば、陣屋跡の北西700mほどのところにある諏訪神社の明応元年(1492)の棟札に鈴木兵部の名があり、喜左衛門の先祖ではないかと推測している。
また、『大系』には付近に「諏訪城」の伝承が残るともあるが、詳細は不明である。 |
| お城情報 |
上の地図中の緑点のあたりに説明板が設置されていて、そこには陣屋中心部の番地が記されています。
その番地は、図中の緑丸一帯になるそうです。見て分かるとおり、中津原台地の河岸からはいくぶん奥まったところにあったようで、完全に代官の行政施設であったものと推測されます。 喜左衛門の先祖として在地領主の鈴木氏があり、その居所が諏訪城と呼ばれていたとすると、陣屋一帯は要害性もなく、また中津原台地は長らく不毛の地とされていたことから、陣屋とは別の場所にあったものと考えられます。 陣屋跡の北東、久昌寺の麓には殿沢の小字が残っています。その先には六倉の渡し場があったとされています。今でも相模川の氾濫原には水田がそこかしこにみられ、中世の六倉の中心部はこのあたりにあったものと考えられます。
殿沢の上に位置する久昌寺は、河岸の中腹にあって眺望が利き、在地領主の居館が設けられていてもおかしくはないように思われます。
確証はないのであくまで推理の域を出ませんが、中世鈴木氏の居跡として、もう少し六倉に注目が集まっても良いように感じました。 |
| 更新情報 |
【
最終
更新者】匿名城主
【
最終
更新日時】2025/09/28 12:18:47
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