基本情報
| 住所 | 埼玉県白岡市小久喜29-8 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス | JR宇都宮線白岡 徒歩8分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 平安時代末期 |
| 築城者 | 南鬼窪行親 |
| 歴代城主 | 南鬼窪行親 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 野与党の南鬼窪氏の居館とされる。大蔵新大夫行長の子行親が南鬼窪小四郎と名乗り南鬼窪の祖となった。 行親は源頼朝に仕えて元暦2年(1185)に源範頼への使者として九州へ赴き、建保元年(1213)の和田合戦では北条義時に従い勲功を挙げた。 付近には野与党が崇拝した久伊豆神社も残っている。 |
| お城情報 | 野与党に連なる武士の居館跡を探るのはとても根気のいる仕事だと思う。ほとんど場所の特定がされておらず、ある程度の場所がわかっていても遺構は皆無と言える。 これが丹党や児玉党の居館廻りとなると資料も多く、現地で遺構と出会えることが多いが、埼玉県内の城館を調べる者には避けて通れない道でもある。 白岡市のWebサイトで南鬼窪氏館跡の発掘調査が行なわれている様子が掲載されていたことが刺激になり、とうとう南鬼窪氏館跡を訪ねることができた。 何かのきっかけがなければなかなか訪れようという気にならない場所である。 遺構は埋め戻されて宅地が建つが、寿楽院の案内板に鬼窪氏に関することが記されており、鬼門除けと思われる鬼窪八幡も残っている。 何より驚いたのが現地に鬼窪姓の表札を見つけたことだった。おかげで遺構はなくとも案外と楽しむことができた。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】匿名城主 【 最終 更新日時】2025/10/05 05:21:42 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 1.0
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登城日:
2025年10月20日 13:24
(ごろぽんさん) おすすめ度: ★ 駅からハイキングで白岡駅を訪ねた際にこのアプリで知った。 | ||
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登城日:
2025年10月8日
(こばやんさん) おすすめ度: ★ 今は、駐車場と成っています |





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