基本情報
| 住所 | 神奈川県鎌倉市二階堂903 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 | 東海道 相模 |
| アクセス | JR横須賀線鎌倉 徒歩24分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 平安時代末(12世紀)? |
| 築城者 | 杉本義宗? |
| 歴代城主 | 斯波家長 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | 山城 |
| 廃城年 | 南北朝時代(1337年)頃? |
| 指定文化財 | 鎌倉市No.62 |
| 歴史・沿革 | 現在、中腹に杉本寺が立つ「大蔵山」山塊が城跡とされる。
『日本城郭大系』では、山に囲まれた古都鎌倉全体を鎌倉城とする見解に立脚し、その防御性を高めるため朝夷奈切通側からの侵攻に備えて造られたのが当城であると位置付けている。 三浦氏の棟梁である三浦義明の長子で杉本氏の祖・杉本義宗が三浦半島を出て鎌倉郡杉本の地に居を構えて築城した。 同地は三浦氏の勢力下で六浦道を抑える要衝であった。義宗は若くして亡くなるが、義宗の次男、義茂が入城し、杉本城を守った。 その後、源頼朝が伊豆の蛭ヶ小島で挙兵し、治承・寿永の乱が起きると、三浦一族は源氏方についたものの、頼朝勢が大庭景親勢と激突した石橋山の戦いで敗北した後、鎌倉由比ヶ浜に平家方の畠山重忠が進駐してきたが、三浦氏は畠山氏と姻戚関係にあるため、すぐさま合戦にはならなかったが、畠山勢の三浦勢攻撃と誤解した義茂は杉本城内から畠山勢に攻めかかり、合戦に及ぶなど杉本城は治承・寿永の乱(源平合戦)における軍事拠点として重要な役割を果たしている。 その後、杉本城は鎌倉時代末期頃、堀切及び溜池、詰の場所等が設けられ、搦め手は瑞泉寺まで達し、武家の都ともいうべき鎌倉郷内の重要な城郭として存続したが、『太平記(西源院本)』によると、南北朝時代の建武4年(1337年)12月28日、北朝方(足利方)の 斯波家長が、朝夷奈切通から攻め入った南朝方の北畠顕家軍に杉本城の戦いで敗れ、城兵ことごとく討ち死にし、杉本城は落城の憂き目にあった。 その後、杉本城は歴史に登場することなく、現存する杉本寺境内に城跡としてその痕跡を残すのみとなっている。 |
| お城情報 | |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】dougen 【 最終 更新日時】2025/11/05 20:44:38 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 1.5
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登城日:
2024年10月26日 01:27
(ごろぽんさん) おすすめ度: ★★ 鎌倉駅から歩いて30分ほどのところです。旧小町通り(今のお店が沢山有るところではない)から北上して行く感じです。 杉本寺はかなりの石段を上がりますよ。 | ||
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登城日:
2017年10月4日 20:42
(dougenさん) おすすめ度: ★ 鶴ヶ岡八幡宮から東に行ったところにある杉本寺が杉本城址となります。 杉本寺の解説板はありますが、特に城址のことは触れられていません。 本堂の裏山が主郭になります。本堂脇から登る道があり登って行くと主郭らしき場所がありますが、立入禁止となっており、郭内がどの様になっているか確認ができませんでした。 驚くことに主郭の隣接する様に個人宅があり、かつて郭だった様な地形になっています。 なお、杉本寺は、急な階段を直線的に登って本堂に辿り着くことができ、往時もかなりの急斜面の城址だったことが偲ばれます。 また、本堂下の苔むした石段は見事です。(立入禁止のため、本堂へはう回路が付いています) https://dougen2013.livedoor.blog/archives/23487326.html |








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