基本情報
| 住所 |
神奈川県秦野市今泉391 |
| 五畿八道 令制国 |
東海道 相模 |
| アクセス |
小田急小田原線秦野 徒歩13分 |
| 地図 |
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| 電話番号 |
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| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 営業時間 |
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| 築城年 |
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| 築城者 |
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| 歴代城主 |
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| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 |
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| 天守階数 |
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| 天守形式 |
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| 曲輪構成 |
土塁 |
| 縄張形態 |
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| 廃城年 |
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| 指定文化財 |
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| 歴史・沿革 |
今泉堀ノ内は太岳院境内と周囲を囲む湿地帯から成る城郭だが、歴史についてはわかっていない。太岳院は天文10年(1541)に今泉村を領有していた土豪が蔵林寺から大通梵伊を招いて開山した寺院と伝わる。
付近には堀ノ内や竹ノ内といった豪族屋敷に関連した地名が残されており、湧水が豊富なことから古い時代から集落が形成されていたことがわかっている。しかし土地の支配者の名前は明かされていない。
永享10年(1438)に起きた永享の乱に敗れ、鎌倉に捺し込められて自害した鎌倉公方足利持氏の遺臣一色伊予守は、相模今泉館に立て籠り有事に備えたが、新編相模国風土記稿はこれを秦野市の今泉城としている。
今泉城は今泉堀ノ内よりも南の丘陵地帯に築かれた城だが、一色氏が拠ったのは厚木市内の今泉館を指すと思われる。 |
| お城情報 |
始発で出かけて秦野駅に着いたのは7時過ぎだった。さすがに冷え込みがきつかったが、弘法山を縦走した頃には太陽も昇り暖かさを感じるほどになっていた。下山した後は関東ふれあいの道をたどりながら、波多野城から田原の里まで歩いたが、いきなりの登山のあとは丘陵地帯を歩くことになったので疲労が積み重なっていた。
予定は消化できたのでバスに乗り秦野駅まで戻ったが、秦野は遠いためなかなか来ることもできないので、駅から近い場所にある今泉堀ノ内を訪ねてから帰ることにした。秦野駅南口から歩いて10分足らずの場所にある太岳院の境内が今泉堀ノ内である。周囲を室川と湿地帯に守られた要害地形だったらしいが、湿地帯は湧水を利用した美しい人工池を持つ今泉名水桜公園となっている。
太岳院の山門脇に石塔が建ち並んでいるが、これが往時の土塁とされる。石垣を模したコンクリートで被覆されているため、一見するととても城館跡の遺構には思えない。むしろ公園の南にある小さな社が祀られた塚のほうが気になり、柵ごしに眺めると土塁と思える高まりが一直線に伸びていた。帰宅して日本城郭大系に収録されている今泉堀ノ内の図面と照合すると土塁で間違いないようである。
公園や寺院に今泉堀ノ内の歴史を示す案内板はないが、湿地を形成する沼に龍が住んでいたという伝承や、戦前に池を造成したときはプールとして使用されていたという歴史が記されていた。とても美しい風景の公園であり、しばらくここで疲れを癒していた。 |
| 更新情報 |
【
最終
更新者】dougen
【
最終
更新日時】2025/11/10 11:54:48
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みんなのおすすめ度
1.3
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登城日:
2025年10月12日 12:06
(マリリさん)
おすすめ度:
★
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登城日:
2025年10月12日 12:12
(影武者さん)
おすすめ度:
★★
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登城日:
2017年9月30日 11:53
(dougenさん)
おすすめ度:
★
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