基本情報
| 住所 | 京都府京都市伏見区納所北城堀46 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 | 畿内 山城 |
| アクセス | 京阪本線淀 徒歩7分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hu131.html |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 室町時代中期 |
| 築城者 | 畠山政長 |
| 歴代城主 | 明智光秀、豊臣秀長 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | 平城 |
| 廃城年 | 1591年 |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 淀は、宇治川、桂川、木津川が合流する交通の要衝であり、京都へ入る荷物の集積地(淀魚市場など)として古くから栄えていました。 淀周辺を巡る山名氏と赤松氏の争いは南北朝時代から応仁の乱が終結するまでの約150年間にわたって断続的に続きましたが、応仁の乱で東軍についた畠山政長によって中州ごとに小さな砦を築き、それらを連携させる「群郭式(多郭式)」の形態で整えたと考えられています。 明応の政変により政長が敗死すると淀の支配は細川政元(京兆家)へと移ります。政元は淀の重要性を再認識し、自らの配下(薬師寺氏や香西氏など)を城代として置きました。 16世紀に入ると、淀古城は京都支配を左右する「最前線の城」となります。 1550年代、畿内の覇者となった三好長慶が、対立する足利将軍家や細川氏を監視するために淀城を支配しました。 1573年に織田信長と将軍・足利義昭が対立した際、義昭方の将である岩成友通が淀古城に立てこもり、信長は細川藤孝らに命じて攻撃。岩成は討死し、淀城は信長の支配下に入りました。 1582年の山崎の戦いで明智光秀を破った秀吉がこの地を接収。弟の羽柴秀長や、養子の羽柴秀勝に管理させていました。 1589年、秀吉は、側室・茶々の懐妊を機に、彼女が産休・育児を過ごす場所として淀古城を大改修し、ここで長男・鶴松(棄)が誕生したが、誕生からわずか二年後、鶴松が早世すると秀吉は淀古城を徹底的に破壊しました。 |
| お城情報 | 淀古城の遺構は、残念ながら地上にはほとんど残っていませんが、納所(のうそ)地区にある「妙教寺」の境内が、かつての本丸付近とされています。 寺の門前には「淀古城址」と刻まれた大きな石碑が立っており、また、付近の住宅街にも「淀古城跡」を示す案内板が点在しています。 周辺の開発に伴う発掘調査では、当時の金箔瓦や堀の跡が見つかっており、秀吉時代の華やかな城の断片が確認されています。 史跡公園としては整備されていませんが、妙教寺の境内地として、また地域の歴史的シンボルとして大切に守られています |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】千 百万 【 最終 更新日時】2026/02/25 20:52:07 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 1.5|
登城日:
2026年2月20日
(千 百万さん) おすすめ度: ★ 現在は妙教寺となっており、敷地内に石碑があるようですが、門に参拝を中止している張り紙がしてあり門の前で引き返しました。 | |||
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登城日:
2025年1月18日 14:40
(きいちさん) おすすめ度: | |||
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登城日:
2024年12月30日
(熱気バサラさん) おすすめ度: ★ | ||
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登城日:
2024年6月22日
(タケローさん) おすすめ度: | |||
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登城日:
2023年12月29日
(としあきさん) おすすめ度: | ||
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登城日:
2023年2月24日
(影武者さん) おすすめ度: ★ 小学校とお寺になっている。お寺の入り口に説明板、境内に石柱があるが、コロナで進入禁止だった。 | |||
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登城日:
2022年5月11日 14:20
(洸あきらさん) おすすめ度: ★★★ お寺になっていて、城の遺構は見当たりません。 | |||
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登城日:
2014年5月31日 10:48
(くうくうさん) おすすめ度: | |||
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登城日:
2014年2月1日 12:00
(鉄鼠さん) おすすめ度: | ||
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登城日:
2013年10月26日
(げすもんさん) おすすめ度: |








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