基本情報
| 住所 | 愛知県豊川市牛久保町城跡 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 |
東海道 三河 |
| アクセス | JR飯田線牛久保 徒歩1分 |
| 地図 | |
|
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| 電話番号 | 0533-89-2206 |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | https://mito.or.jp/mito-intro/toyokawahistory/2south/4-2-16 |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 享禄2年(1529) |
| 築城者 | 牧野成勝 |
| 歴代城主 | 牧野家 荒尾平左衛門 |
| 代表紋 |
未登録
|
| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | 平城 |
| 廃城年 | 元禄13年(1700) |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 牧野家の城です。 |
| お城情報 | 遺構はありません |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】山城あおば 【 最終 更新日時】2025/04/11 18:30:19 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 3.0|
登城日:
2025年3月9日 17:34
(山城あおばさん) おすすめ度: ★★★★★ 牛久保城は牧野家が築城した城で牛久保駅のすぐ近くにあり、石碑と案内看板が設置されています。 ・牛久保城の歴史 牛久保城は台地の端につくられた城で、南の沖積低地を一望でき、北には二重の堀をめぐらせていました。今の牛久保駅あたりが本丸の西の端にあたり、大手門が駅前あたりにあったと推測されます。城を取り囲むように侍小路、与力屋敷、その北に町人の町通り、周辺部に寺院などを構えていました。また、城に入る道は必ず曲尺手になっていました。また、牛久保城は一色城を取り込むようにつくられました。現在、当時の遺構は一切何も残っていません。しかし、牛久保駅周辺に「城跡」「大手」「城下」等の地名や、「善行院」「長谷寺」「東勝寺」「大聖寺」「熊野神社」「八幡社」等の寺社、牧野成定公廟、一色城の土塁跡などから当時の面影をしのぶことができます。 ・牛久保城の縄張等 牛久保城は台地の端につくられた城で、南の沖積低地を一望でき、北には二重の堀をめぐらせていました。今の牛久保駅あたりが本丸の西の端にあたり、大手門が駅前あたりにあったと推測されます。城を取り囲むように侍小路、与力屋敷、その北に町人の町通り、周辺部に寺院などを構えていました。また、城に入る道は必ず曲尺手になっていました。また、牛久保城は一色城を取り込むようにつくられました。現在、当時の遺構は一切何も残っていません。しかし、牛久保駅周辺に「城跡」「大手」「城下」等の地名や、「善行院」「長谷寺」「東勝寺」「大聖寺」「熊野神社」「八幡社」等の寺社、牧野成定公廟、一色城の土塁跡などから当時の面影をしのぶことができます。 | |||
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登城日:
2023年8月1日
(本多百助さん) おすすめ度: ★★ 〈今回の散策コース〉 豊川コロナワールド→牛久保城跡→ 大聖寺(一色城跡、今川義元公胴塚)→ 寺町公園(山本勘助養父屋敷跡)→長谷寺(山本勘助の墓所) 城の遺構は全く残っていません。本丸と考えられる場所に石碑が建てられ、説明看板が設置されています。周辺に今川義元、山本勘助といった有名武将に関連する史跡があるので、そちらも巡るのがいいでしょう。 おすすめスポット ①大聖寺 今川義元の墓所があります。 ②長谷寺 山本勘助の墓所があり、守本尊の摩利支天尊像が安置されています。 戦国初期に牧野氏により築城されたと伝えられます。代々牧野氏が城主を務めましたが、天正18年(1590)に牧野康成は徳川家康の関東移封に従って移動し、吉田城に入った池田輝政の支城となり、重臣の荒尾成久が城主となりました。関ヶ原の戦い後は天領となり、城内に代官所が設けられ使用されていましたが、元禄13年(1700)廃城となりました。 扇状台地の端に作られた平城で、南は下郷の地を一望でき、北には二重の堀を巡らせた城でした。城を取り囲むように武家屋敷が配置され、その北に町人の家が通りに面して連なり、周辺に寺院があって外敵に備えていました。戦国初期では珍しい城下町の機能を持つお城です。 | |||
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登城日:
2024年12月15日
(アンドリーさん) おすすめ度: | ||
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登城日:
2024年4月15日
(本多百助さん) おすすめ度: ★★ |





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