基本情報
| 住所 | 神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 |
東海道 相模 |
| アクセス | JR東海道本線真鶴 徒歩10分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 平安時代末期 |
| 築城者 | 荒井実継 |
| 歴代城主 | |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 荒井城は永保3年(1083)に始まった後三年の役に出陣した荒井刑部実継の居城とされる。源義家の家人だった実継はこの戦いで戦功を挙げたというが、具体的な武勇伝は伝えられていない。
実平は土肥次郎実平の祖父という説があるが、実平は中村宗平の子であり直系の子孫ということはないと思われる。しかしながら荒井城は土肥氏に受け継がれているので血の繋がりはあるのかもしれない。 戦国時代の荒井城には北条氏が烽火台を置いたということが、城址碑に刻まれているが、土肥城と小田原城の中間に位置し、真鶴岬を航行する船からも見えたであろうから、荒井城が烽火台として利用されたという説は否定できないと思う。 |
| お城情報 | 真鶴駅からの坂道を下ると、いつの間にか干物の香りが漂う漁師町まで来ていた。これはおかしいと思い地図を確認し、慌てて真鶴駅まで戻って道を確かめつつ歩くと城跡へ着いたが、荒井城址公園の入口には城跡の遺構とは不釣り合いなほどの立派な石碑が建っていた。
平安時代末期の城に遺構を期待するのも無理な話だが、城址公園とは名ばかりで空堀ぐらいしか遺構はなかった。21年ぶりに再訪してみたが、公園化されている広場周辺に遺構を求めることはできず、城址碑のある入口付近の空堀から北側の高台が城としての中心ではなかったかと思う。荒井城の遺構はやはり今ひとつわからなかったが、海が見える風景と漁師町の雰囲気は良いものである。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】dougen 【 最終 更新日時】2025/11/10 18:14:53 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 2.0|
登城日:
2018年8月30日 18:14
(dougenさん) おすすめ度: ★★ 東海道線真鶴駅を下りて、道路を挟んだ向かい側に荒井城址公園があります。 城址公園と言っても、名ばかりの公園で城址として整備されている訳ではなく、案内はありませんが、辛うじて空堀が確認できます。 真鶴半島の付け根に位置しており、相模湾の海上監視と小田原と伊豆方面を繋ぐ街道の監視をするための拠点だったことは感じられる城址でした。 https://dougen2013.livedoor.blog/archives/23557782.html |





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