基本情報
| 住所 | 埼玉県ふじみ野市福岡 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス | 東武東上本線ふじみ野 徒歩33分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 戦国時代 |
| 築城者 | 富永守定 |
| 歴代城主 | 富永守定 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | 天正18年(1590) |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 福岡城は戦国時代に北条氏に仕え伊豆水軍の主力となった富永善左衛門守定が構えたという。 富永氏の出自は諸説ありよくわからないが、近江佐々木氏の後裔とする説が有力視されている。 富永氏は早くから北条早雲に仕え、伊豆の高谷城を居城としていた。 北条氏康が当主の時代に江戸城を守った富永政直の次男守重の子が善左衛門守定であり、天正18年(1590)に北条氏が没落すると富永一族は徳川家康に召し抱えられ、子孫は幕臣として続いた。 |
| お城情報 | 福岡城をはじめて訪ねたのは、すっかり春を感じさせるような暖かい一日で、菜の花がとても綺麗だったことをよく覚えている。 城山とも呼ばれているが、実際は平坦な農地が広がる中に一段高くなった地形が残る程度だった。 ここへ来るためには東武東上線のふじみ野駅か上福岡駅から歩かねばならず、路線バスの本数も心もとない場所である。 どの路線かは忘れたが、1日に1本しか運行していないのを見て愕然とした覚えがあるが、それは再訪したときでも変わりなかった。 19年ぶりに再訪した福岡城は当時とそれほど変化がないように感じたが、自分が訪れたときにはなかった案内板が設置されていた。 江戸時代の地形がそこには描かれていたが、氾濫原に浮き上がるような魅力的な地形であり、小さいながらも城郭としての備えを持っていたように見受けられる。 付近はネギ畑が多く、ややもすれば鼻を刺激するような香りが漂っていたが、青々とした草原と水田の広がりは気持ちの良いものだった。 ここから長躯して勝瀬孫六館まで足を延ばす予定だったが、雨が突然に強くなり雷鳴も鳴り響いたため、近くの老人介護施設で雨宿りをさせてもらい、予定を変更してタクシーでふじみ野駅へ向かったが、川越市駅まで着いたときにはすっかり雨は上がっていた。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】匿名城主 【 最終 更新日時】2025/10/05 05:13:56 |





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