基本情報
| 住所 | 埼玉県児玉郡上里町長浜 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス | JR八高線丹荘 徒歩26分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 平安時代末期 |
| 築城者 | 長浜信光 |
| 歴代城主 | 長浜信光 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | 土塁・水堀 |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | 天正10年(1582) |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 長浜氏は丹党出身で新里恒房の子三郎信光が長浜氏を名乗ったという。 長浜氏の子孫は新田義貞に仕え南朝方として戦っているが、建武4年(1337)に長浜六郎左衛門光経は義貞とともに越前へ転戦し、越前金ヶ崎城の戦いで討死している。 その後もこの館は湿地帯に浮かぶその様子から浮浜城とも呼ばれて戦国時代の終わりまで存在していた。 |
| お城情報 | 長浜氏の居館は近年まで土塁と水堀がよく残されていた。 遺構が見られることを楽しみに訪れたが、目の前に広がるのは破壊されつつある姿だった。 立派な石碑が建っているので城跡もよく保存されていると思いつつ歩いたが、土塁は削られて堀は埋められていた。 その瞬間にも地元の人が重機で土塁を崩しているところだった。 嬉々とした表情でこの数日できれいにしたと語っていたのが恨めしく感じたが、城主やその家臣の末裔でもなければそんな感慨は覚えないだろうし、仮にそうだとしてもこれだけ長い時が経てば関係ないのだろう。 もう数週間でも早く訪れていればきれいな長浜氏館を見ることができたわけで、この城跡については無念の思いしかない。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】匿名城主 【 最終 更新日時】2025/10/06 01:56:43 |





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