基本情報
| 住所 | 新潟県上越市頸城区手島 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 | 北陸道 越後 |
| アクセス | 北越急行ほくほく線くびき 徒歩7分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | |
| 築城者 | |
| 歴代城主 | 手島清蔵源影行 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 日本城郭全集に茶臼山城は、頸城区矢住町内の西南、集落から歩いて10分ほどの所に位置する標高42メートルの山です。頸城平野の東北端、吉川区の顕法寺城の支城として、南北朝時代に築城されました。本丸跡は10アール近くの平坦地で、松が茂っており、二の丸には直径2メートル近くの井戸があります。以前、二の丸付近から観音像が出土し、今日、矢住町内の寺院に安置されているといわれてます。山麓には屋敷跡と思われる所があり、茶臼山城の居館であろうとのことです。言い伝えによると、南北朝時代は南朝方の河野弾正通信、上杉時代は黒金摂津守の居城とのことです。(花ヶ前盛明氏) 一方、頸城村史には、新潟市鳥見町の浄土真宗西厳寺住職手島家の伝承よれば、祖先手島清蔵源景行が城主であったが敵軍(景勝方)に攻められ(天正7年)、城から落ち延びたとあり、このとき城主の姫が井戸に身投げしたとあります。昭和62年11月に手島恵船氏などにより追悼碑が建立されました。 |
| お城情報 | |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】m* 【 最終 更新日時】2025/07/24 14:45:45 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 0.0|
登城日:
2025年7月19日 09:58
(m*さん) おすすめ度: |








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