基本情報
| 住所 | 栃木県大田原市城山2丁目 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 | 東山道 下野 |
| アクセス | JR宇都宮線西那須野 徒歩57分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | 0287-98-3768 |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | http://www.city.ohtawara.tochigi.jp/docs/2013082778963/ |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 天文12年(1543年) |
| 築城者 | 大田原資清 |
| 歴代城主 | 大田原氏 |
| 代表紋 |
朧月
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | 平山城 |
| 廃城年 | 明治6年(1873年) |
| 指定文化財 | 大田原市史跡 |
| 歴史・沿革 | 大田原城は、大田原資清(すけきよ)によって築城され、天文12年(1543)あるいは天文14年(1545)にそれまで本拠としていた町島(まちじま)の水口居館(みなくちきょかん)(市指定史跡)から移ったといわれます。以後、明治4年(1871)の廃藩置県にいたるまでの大田原氏の居城でした。 本丸・二の丸・三の丸に区画され、この外、北と西の曲輪(くるわ)・馬場・作事場等がある複郭式の平山城(ひらやまじろ)でした。 徳川家康は特にこの地を重視し、慶長5年(1600)関ヶ原の戦い前、上杉景勝(かげかつ)の挙兵の際にはその備えとして急ぎ城の修理を命じ、さらに3代将軍家光は、常時玄米千石を城中に貯蔵させ奥州への備えとしました。文政8年(1825)には火災によって焼失しましたが、同9年新たに修造されました。 戊辰戦争では、大田原藩は新政府軍につき、大田原城は会津攻めの拠点となりました。そのため、慶応4年(1868)会津軍の攻撃をうけましたが、火薬庫の爆発により落城はまぬがれました。 明治5年(1872)、城は兵部省に引き渡され取り壊されました。明治19年(1886)長野県出身の渡辺国武(くにたけ)(大蔵大臣)の所有となりましたが、昭和12年(1937)、子の渡辺千冬(ちふゆ)(司法大臣)により当時の大田原町に寄贈され、のちに龍城公園として整備されました。 |
| お城情報 | 別名:龍城 龍体城 前室城 遺構:土塁 堀 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】優雅 【 最終 更新日時】2026/01/05 00:07:54 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 2.5
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登城日:
2025年5月24日 19:00
(オレンジさん) おすすめ度: ★★ | ||
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登城日:
2024年3月10日 10:52
(早寝さん) おすすめ度: ★★★★★ | |||
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登城日:
2022年9月11日 09:08
(マリリさん) おすすめ度: ★ | |||
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登城日:
2022年9月11日
(影武者さん) おすすめ度: ★★★ 駐車場が未舗装 小山の上に盆地風 井戸跡 | ||
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登城日:
2021年12月30日
(よっしーさん) おすすめ度: | ||
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登城日:
2019年9月16日
(SFUKU さん) おすすめ度: | ||
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登城日:
2010年8月1日 11:38
(dougenさん) おすすめ度: ★★★ 黒羽城から大田原市営バスに乗って、あさひ橋バス停で下車、徒歩15分程度で城址三の丸側の登城口につきます。 黒羽城ほどの規模はありませんが、龍城公園として整備されています。 大田原城は、大田原市街に近く、市街地化していますが、案内板を見る限りは結構な規模だったようです。 遺構としては、曲輪や土塁、空堀、三日月濠など残っていますので、特に北郭から望む本丸の城塁は圧巻です。良く手入れがされていますので、よく判ります。 黒羽城のついでに登城することをオススメします。 https://dougen2013.livedoor.blog/archives/20985024.html |
みんなの御城印
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御城印日:
2025年12月31日
(優雅さん)
御城印:500円(大田原神社にて)
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朧月
















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