基本情報
| 住所 | 静岡県磐田市見付 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 | 東海道 遠江 |
| アクセス | JR東海道本線磐田 徒歩22分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 1569年 |
| 築城者 | 徳川家康 |
| 歴代城主 | |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | 1570年 |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | |
| お城情報 | |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】影武者 【 最終 更新日時】2026/03/14 13:04:41 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 1.3|
登城日:
2024年8月9日
(本多百助さん) おすすめ度: ★ 本丸が野球場として活用されています。 土塁の一部が残っていますが、野球場と一体化していて、遺構としてわかりにくくなっています。駐車場から見える土塁はかなりの高さがあることがわかります。高い土塁で囲まれた野球場1つ分の広さの本丸があったと想像できます。 〈静岡県の中世城館跡より要約〉 別名 城山、見付古城 『遠江国風土記伝』には寿永・建久年間(1182−1190)に安田三郎義定遠江守に任ぜられこれに住むとあるが、定かでない。寛正・文明年間(1460−1486)の斯波・今川氏の抗争に際し一時的に城塁の機能を有したことが推測される。永禄12年(1569)正月、徳川家康は山本帯刀成氏(成行)の縄張で見付宿の東方山続きの旧塁を崩し、城・屋敷・御在所・堀川などの造営、城之崎の城塁を改修して新城を築いた。同5月、掛川城の今川氏真攻略後、築城未完のまま元亀元年(1570)6月浜松(引馬城)へ移っている。 磐田原台地南、舌状の城之崎丘陵中央、標高20mの位置にある。本丸跡(120m✕120m)は野球場となり、土塁・空堀が残存するが、改変が著しい。本丸北西部のL字状土塁は長さ東西70m、南北65m、幅15-20m、高さ5-10m。土塁内側に未完の井戸跡があったという。この土塁より東へ長さ60m、幅10m、高さ2mの土塁は改変され、本丸西の球場入口より南へ長さ115m、幅10-20m、高さ9m更に東へ直角に折れて長さ150m、幅10-20m、高さ7mの土塁が本丸東南隅に至る。本丸東部の土塁はほぼ消滅。空堀は本丸北東より南端へ深さ5-10m、幅10-15m、長さ180m。北と西の土塁中央に出入口があり、虎口跡と推定される。 掛川城攻略の一拠点として築かれた戦国末期の城郭跡といえる。 家康の浜松移転は用水不足と後の対武田戦に信長の後詰めに関連し天竜川を背にする不利などが理由とされる。 | |||
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登城日:
2026年3月14日 13:01
(影武者さん) おすすめ度: ★ 野球場になっていて、入口に石碑と説明板がある。 | |||
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登城日:
2026年3月14日 13:01
(マリリさん) おすすめ度: ★★ 磐田城山球場 本曲輪がそのまま球場になっている。 | |||
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登城日:
2025年1月26日
(爺散歩さん) おすすめ度: ★ |








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