基本情報
| 住所 | 大阪府枚方市楠葉中之芝1丁目22−6 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 | 畿内 河内 |
| アクセス | 京阪本線橋本 徒歩9分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 1864年 |
| 築城者 | 徳川幕府 |
| 歴代城主 | 福山藩、宮津藩、小浜藩 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | なし |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | 稜堡式 |
| 縄張形態 | 台場 |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | 国史跡 |
| 歴史・沿革 | 幕末の1865年(慶応元年)に江戸幕府が淀川沿いに築いた砲台場跡で、現在は国の史跡として楠葉台場跡史跡公園が整備されています。 1864年から1865年にかけて、会津藩主・松平容保の建白により勝海舟が設計に携わり、星形要塞のような「稜堡(りょうほ)式」という西洋の築城様式が取り入れられ幕府が築造しました。一般的な台場は海辺にありますが、ここは川(淀川)を遡上する外国船を阻止するために内陸の河川沿いに築かれた珍しい例です。表向きは防御用ですが、実際には「京街道」を台場の内部に通しており、京都へ向かう尊王攘夷派の浪士らを取り締まる「関所」としての機能が重視されていました。 戊辰戦争の「鳥羽・伏見の戦い」では、幕府軍の拠点となりましたが、対岸の高浜砲台(山崎側)が新政府軍に占拠されたため、ここを守っていた幕府軍は撤退を余儀なくされました。 |
| お城情報 | 平成23年に国の史跡に指定された後、整備工事を経て楠葉台場跡史跡公園として一般開放されています。 かつての砲台場の東半分程度が残されており、台場の周囲を囲む高い土壁や、台場を守るための深い堀(南側の大空堀など)が残っています。現在は底がコンクリートで固められていますが、その深さと規模を実感でき、北側には敵の侵入を防ぐための複雑な形状をした出入り口(北虎口など)の跡も残っています。 各所に解説案内板が設置されており、勝海舟の設計図や当時の役割(番所としての機能など)を詳しく学ぶことができます |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】千 百万 【 最終 更新日時】2026/02/21 22:11:45 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 4.0|
登城日:
2026年2月20日
(千 百万さん) おすすめ度: ★★★★ 京阪橋本駅から徒歩10分。国史跡に指定されてるだけあって整備が行き届いてます。台場跡南側には「稜堡式」特有の形がよく分かりました。 |








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