基本情報
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みんなのおすすめ度 2.0
登城日:
2024年11月26日
(本多百助さん) おすすめ度: ★★ 【静岡県の中世城館跡】より 本城は、土肥・高谷城主富永氏の出城とされる。富永氏は北条氏に属し、西伊豆沿岸一帯に大きな勢力を振るった一族である。北条氏の西に対する沿岸防備の一翼を担う水軍基地であったと思われ、天正18年(1590)3月、豊臣水軍の攻撃を受けて落城したものと思われる。 城は八木沢地区の西側、突き出した丘陵先端部に位置し、北側の独立丘的山が出丸跡(旧城)、南側の丘陵が本城跡(新城)とされる。出丸跡東側は現在埋め立てられているが、かっては広大な入江で港として使用されていた。 出丸と本城の間は現在国道136号線が通り、その北側下方に幅10m前後の空堀がある。出丸跡は標高46mの山で山腹に腰曲輪が存在、山頂は東西30m、南北50mが平坦で一部は崩れてはいるが、東北隅に高さ0.6-1.2m、幅1mの土塁を巡らせた5m四方の曲輪が存在する。内部には小さな祠があり、巨松が立つ。北側はいくつかの段をなして断崖となるが、いわゆる塁段か不明である。 本城とされるものは国道の南側にある。その中核は標高50m程の所にあるが、 遺構らしいものはさらに南に延びて津島神社の祀ってある字天王平まで存在する。この間3つの空堀が存在した思われる。天王平は標高115mでここは物見台的役割を持ったところと思われる。 中核は国道から少し入り、塁段と思われるところを登ったところにある。中央部に台形状の曲輪があって、東北隅に木戸口がある。その左右、南北に曲輪がつく。曲輪は石垣をめぐらすが、特に西側海寄りに顕著である。 この本城はその縄張りにかなり甘さがみられ、戦国末期急遽拡張され、未完に終わってものといわれる。 |