基本情報
| 住所 | 福井県福井市清水山町 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 |
北陸道 越前 |
| アクセス | 福井鉄道福武線泰澄の里 徒歩42分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 応永17年(1410) |
| 築城者 | 太田貞敏(越前守護・斯波氏の家臣) |
| 歴代城主 | 太田氏 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | 平城 |
| 廃城年 | 慶長5年(1600年) |
| 指定文化財 | 市史跡(清水山城跡) |
| 歴史・沿革 | 室町時代、越前守護であった斯波氏の家臣・太田貞敏によって築かれました。当時は蛇行する日野川に三方を囲まれた天然の要害で、太田氏はここを拠点としていました。 応仁の乱の最中、守護の斯波氏と朝倉孝景(敏景)が越前の覇権を争い、清水山城は斯波方の重要拠点として、朝倉勢の猛攻を受け、太田美作守が討ち死にし、城は落城。太田氏はいったんこの地を追われます。 その後、太田氏の子孫である太田一吉は織田信長、次いで羽柴秀吉の馬廻りとして頭角を現し、天正10年(1582年)、本能寺の変の後に越前を領した丹羽長秀の付奉行として、一吉は先祖の地である清水山城(3,500石)に復帰を果たしました。 一吉は文禄2年(1593年)には九州の豊後臼杵城6万5千石の大名へ。清水山城は嫡子の隆満が引き継ぎましたが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで太田氏は西軍に与したため改易となり、清水山城も廃城となりました。 |
| お城情報 | 現在は周囲が宅地や畑、杉林になっていますが、神社の境内裏手などには空堀跡を思わせる地形の起伏や、周囲より一段高くなっている要害としての名残を感じることができます。 城跡の主要部分は「毘沙門神社」の境内となっており、鳥居をくぐった境内に「清水山城址」と刻まれた立派な石碑が建てられています。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】千 百万 【 最終 更新日時】2026/06/22 22:08:09 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 2.0|
登城日:
2026年6月19日
(千 百万さん) おすすめ度: ★★ 一帯は道が狭く駐車スペースもないので近くの公民館に車を停めさせて貰い徒歩で訪れました。現在は毘沙門神社がひっそりと鎮座し、その脇に石碑が建っています。 |





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