基本情報
| 住所 | 大阪府枚方市枚方上之町9−21 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 |
畿内 河内 |
| アクセス | 京阪本線枚方公園 徒歩6分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 室町時代 |
| 築城者 | 本多氏 |
| 歴代城主 | 本多氏、本多政康 |
| 代表紋 |
未登録
|
| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | 単郭又は連郭式 |
| 縄張形態 | 平山城 |
| 廃城年 | 1615年 |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 大阪府枚方市上之町(現在の枚方市立枚方小学校付近)に存在したとされる城郭です。 淀川を望む比高約10〜20mの枚方台地(万年寺山)の先端部に築かれた平山城です。北側は淀川に面した断崖、東側は天野川が流れる湿地帯となっており、これらを天然の堀として活用した堅固な守りを持っていました。 詳しい資料が残っておらず築城時期については享徳年間(1452年〜1455年)ごろに、本多氏により築いたとされていますが、単なる居館から「城郭」として整備されたのが、三好氏や松永久秀が台頭した時期とされています。 縄張りは単郭または連郭式で 小規模な城であったため、中心となる郭を直線的に配置した「連郭式」に近い形だった可能性があります。 記録がはっきりし始めるのは、秀吉に仕えた本多政康の代(16世紀後半)からです。彼は天正年間(1573年〜1592年)には確実にこの地を治めており、秀吉の側近として城や淀川の監視や宿場の管理を兼ねた要衝として機能していました。 慶長19年(1614年)の「大坂冬の陣」の直前、徳川方によって攻略され落城し、翌1615年の「大坂夏の陣」で豊臣家が滅亡すると廃城となりました。その後、江戸幕府によって枚方宿が整備されると、城跡のあった高台一帯は宿場の背後を守る聖域や公用施設として形を変え、現在に至っています。 |
| お城情報 | 現在の城跡は枚方市立枚方小学校の敷地となっており、建物や石垣などの目に見える遺構は消滅しています。 近隣の「意賀美(おかみ)神社」付近には、豊臣秀吉が築いたとされる「御茶屋御殿跡」の広場があり、そこにある案内板に枚方城に関する記述が見られます。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】千 百万 【 最終 更新日時】2026/02/21 20:37:16 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 1.0|
登城日:
2026年2月20日
(千 百万さん) おすすめ度: ★ 現在は枚方小学校の敷地となっております、遺構や石碑等当時をしのばせる物はありませんでした。 | |||
|
登城日:
2025年10月21日 11:37
(鉄鼠さん) おすすめ度: |





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