基本情報
| 住所 | 東京都千代田区有楽町2丁目 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 | 東海道 武蔵 |
| アクセス | 東京メトロ日比谷線日比谷 徒歩1分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 江戸時代 |
| 築城者 | 織田有楽斎長益 |
| 歴代城主 | 織田有楽斎長益 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | 屋敷 |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 1547年(天文16)織田信秀の11男として誕生し、織田信長の弟にあたる織田長益(有楽斎)屋敷跡。一般に有楽斎の名で通り、茶人としても知られる。
1582年(天正10)本能寺の変の際、長益は信忠と共に二条御所に籠もるが、一説に味方を欺いて脱出し、難を逃れている。その後長益は織田信雄、次いで豊臣秀吉に従い、1600年(慶長5)関ヶ原合戦では東軍に属し、石田方の臣蒲生喜内を討ち取ったという。 1614年(慶長19)大坂冬の陣では大坂方に与したが、徳川家康の間諜として活動したと伝わる。 1621年(元和7)病没するが、長益の血統は大和戒重藩・柳本藩に受け継がれ、命脈を保った。 「有楽町」の名は長益に由来するという。関ヶ原合戦後、長益は数寄屋橋御門付近に屋敷を与えられたとされ、その屋敷跡が有楽原と呼ばれていた事から、明治時代に名付けられたのだという。しかしその記録は無く、俗説とされている。 |
| お城情報 | |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】dougen 【 最終 更新日時】2025/09/19 13:39:32 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 1.0|
登城日:
2017年9月21日 13:33
(dougenさん) おすすめ度: ★ 関ケ原の合戦後に家康より江戸城数寄屋橋門付近に屋敷を拝領されたとのこと。 織田有楽斎の屋敷があったことから有楽町の地名の由来になったことは、有名な話ですが、 本当に屋敷があったのかは不明らしいです。 https://dougen2013.livedoor.blog/archives/45453859.html |








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