日比沢城

基本情報

住所 静岡県浜松市浜名区三ヶ日町日比沢
五畿八道 令制国 東海道 遠江
アクセス 天竜浜名湖鉄道金指 徒歩30分
地図

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電話番号
FAX番号
公式サイトURL
営業時間
築城年
築城者
歴代城主
代表紋 未登録
天守の種類
天守階数
天守形式
曲輪構成
縄張形態
廃城年
指定文化財
歴史・沿革
お城情報
更新情報 【 最終 更新者】管理者
【 最終 更新日時】2024/04/12 14:25:00
 
※お城や神社、お寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々はこちらよりお気軽にご相談ください。

みんなの登城記録

みんなのおすすめ度 1.0
登城日: 2024年8月22日
(本多百助さん)
おすすめ度:
本坂峠に向かう街道沿いの丘陵(おそらく河岸段丘)の上に位置します。 現在、木々に覆われ、自然林化した場所が城跡と考えられます。 中に入ることもできそうにありませんでした。 西側に 『静岡県の中世城館跡』より抜粋 日比沢地区の中央、姫街道沿いに位置し、道より北100m程隔てた東西に連なる丘陵上に長方形に区切られた平山城です。3km西方に本坂峠、東方2kmに三ヶ日市街を臨む要衝の地に位置します。 遺構は本・東・西の三郭で構成されています。本郭は東西120m、南北100mの長方形の郭で中央に殿舎の土壇50m四方が残っています。東郭は15✕25mと8✕40mの2つに曲輪が残っています。西郭は80m四方で現在は削平されて畑となっています。堀は本郭の西側から北側に渡り深さ5m幅5mのものが150mほど残っています。本郭の堀の内側に敷10-5m高さ3mの土塁が連なっていて、西側に2カ所の入口があります。 日比沢後藤氏が戦国末期(永正頃)より居城とした遺構と考えられ、浜名氏の附庸として、西は本坂峠を押え、浜名地域西方防備の使命を果していたと考えられます。後藤氏は遠州後藤氏の嫡流で、その祖・後藤九郎は長享元年(1487)9月、足利義尚の佐々木高頼征伐に上洛参戦しており、この人が日比沢へ来住の祖と思われ、その子・九郎真泰は永禄3年(1560)5月、今川義元に従い、桶狭間の戦いで戦死しています。次の佐渡守直正は永禄11年(1568)12月、徳川家康の遠州侵攻の際、浜名頼広に従って徳川軍に抵抗して日比沢城に籠もりましたが、翌12年2月に力尽きて浜名氏の佐久城と共に開城、寄手の戸田忠次の軍門に降り、以来徳川氏に内通した本坂後藤実久が守り、天正18年(1590)家康の関東移封で廃城になったと考えられます。

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