基本情報
| 住所 | 福井県あわら市番田 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 | 北陸道 越前 |
| アクセス | えちぜん鉄道三国芦原線番田 徒歩2分 |
| 地図 | |
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| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 長禄年間(1457〜1460) |
| 築城者 | 堀江景経 |
| 歴代城主 | 堀江氏 |
| 代表紋 |
未登録
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| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | 方形単郭 |
| 縄張形態 | 平城 |
| 廃城年 | 1573年 |
| 指定文化財 | あわら市指定史跡「堀江公番田館跡」 |
| 歴史・沿革 | 堀江氏は、平安時代の藤原利仁の系譜を引く名門で.鎌倉時代から室町時代にかけて、この坂井郡北部に土着し、室町前期までは、越前守護であった斯波氏の有力な国人として活躍。 長禄年間(1460年頃)、堀江景経によって、竹田川の北岸にあたる要衝「番田」の地にこの館が築かれました。守護・斯波氏の権力が衰え、代わって朝倉敏景(孝景)が台頭してくると、堀江氏は朝倉氏に臣従して景経は朝倉氏のもとで領地を安堵され、堀江氏の全盛期を築きました。 その後、加賀国から一向一揆の脅威が迫るようになり、永正3年(1506年)の「九頭竜川の戦い」では、朝倉勢の主力として堀江景実が参陣し、一揆軍を撃退しました。しかし、防衛力を強化するため、より要害性の高い竹田川の南側(現在の本荘小学校周辺の「下番堀江館/本荘城」)へと本拠地を移転。 本拠地を移したあとも、ここには出城として番兵や一族の兵が駐屯していたと考えられまが、下番へ移った後の永禄10年(1567年)、堀江景忠は、朝倉義景から謀反の疑いをかけられ、この番田・上番一帯を舞台に合戦が勃発しました。最終的には和睦して越前を退去。朝倉氏の滅亡と共にその役割を終えました。 |
| お城情報 | 周辺一帯は圃場(ほじょう)整備によって水田となっており、当時の土塁や堀などの直接的な遺構は残念ながら消滅しています。現在は水路と田んぼの脇に「堀江公番田館跡」の石碑、解説板、小さな祠がひっそりと佇んでいます。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】千 百万 【 最終 更新日時】2026/06/23 21:50:18 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 2.0|
登城日:
2026年6月19日
(千 百万さん) おすすめ度: ★★ 県道7号の脇に、石碑、解説板と小さな祠があります。 |








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