野田城 登城記録 (本多百助さん)
〈今回の散策コース〉
法性寺(大門→信玄公が撃たれた場所)→
野田城(本丸内の伝信玄公、狙撃場所)
永正5年(1508)から永正13年(1516)に菅沼氏によって築城されたと伝わっています。
南北に伸びる丘陵地に3つの曲輪の連なる連郭式の土造りの城です。東西南は高さ18m前後の段丘崖で、川や沼、湿地帯に囲まれ天然の要害的な地形です。
三方ヶ原で徳川家康に大勝した武田信玄は元亀4年(1573)野田城を攻めました。城主の菅沼定盈は籠城しますが、武田軍の断水作戦により落城しました。
その後、信玄は病に倒れ、本拠地の甲斐への帰途、落命しました。城内から聞こえる笛の音を聴いている時に狙撃されたという伝説が残っています。城内には狙撃したとされる場所があり、近くの法性寺には着弾したとされる場所があります。信玄狙撃に使用されたと伝わる火縄銃が設楽原歴史資料館に展示されています。
おすすめ度: ★★★
おすすめ度: ★★★