勝間田城 登城記録 (本多百助さん)
『静岡県の中世城館跡』より
勝間田定長により築城されたものと云われているが、築城年代及び存続期間については不明な点も多い。『今川家略記』『今川記』等によれば文明8年(1476)に落城したことは確かなようである。
牧之原台地の山脚東に向かって突出している尾根上にあり、標高約100-200mあり、比高は本郭から出郭付近で約,20mあると思われる。本城は本郭、二の郭、三の郭、出郭などからなり、郭は三段あるいは四段からなる。各郭の間が掘られており、中心部に至る尾根はみな切割ってある。昭和23年頃開墾により出郭の一部が破壊されるも殆どの郭は完全に残存しているが、道路を作ったため、一部削りとられている。堀は道路敷になっているところや埋立てられている所も一部あるが、ほぼ残存しており土塁においては殆ど完全に残されている。
南北朝期から室町時代にかけての150年余り、勝間田一族によって使用されたといわれている。勝間田の初代は勝間田平三成長といわれ、この一族は『保元物語』などの古書に、しばしばその名が見られる。歌人として名のあった越前守長清をはじめとして、多くの名が歴史上に現れている。
南北朝の頃、足利尊氏について京都を攻め、室町時代にも京都で足利方について戦っている。建武以降は今川氏についてよく働き、滝堺、湯日などに出城を造り、勝田荘を守っていた。又、本城は勝田荘の西部にあり、勝間田谷唯一の水源をおさえていた。
周辺関係地名としては、血洗、どきや、旗沢、姫池、焼香塚などがある。
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