岩崎城 登城記録 (本多百助さん)

岩崎城の登城記録(本多百助さん)
岩崎城の登城記録(本多百助さん)
岩崎城の登城記録(本多百助さん)
濃尾平野の東側のヘリに位置する平山城です。戦国初期に織田信秀(信長の父)により築城されたと考えられています。松平清康により一時奪われますが、天文7年(1538)丹羽氏清が本郷城から移り、以後、氏識・氏勝・氏次の4代の居城となり、関ヶ原の戦いの戦功により、三河・伊保に転封されるまでの62年間居城とされました。 天正12年(1584)小牧・長久手の戦いでは、織田信雄・徳川家康連合軍に属し、豊臣方の三河中入りの先方・池田恒興隊を足止めして、城代・丹羽氏重ら300余名が討死しました。この足止めが長久手の戦いにおける織田・徳川軍の勝利に大いに貢献したと考えられています。 城郭は、小さな丘を利用し、本丸、二の丸、東・西曲輪とそれぞれを取り囲む空堀や土塁が善く残っています。二の丸は馬出の形で、更に、東・西曲輪が馬出の背後を堅めていて、強力な防御体制をとっています。

おすすめ度: ★★★★
登城日: 2023年10月18日

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