(かわまただいかんじょ)

川俣代官所(川俣陣屋)

基本情報

住所 福島県伊達郡川俣町寺久保77番地の2
五畿八道
令制国
東山道 陸奥
アクセス
地図

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電話番号
FAX番号
公式サイトURL
営業時間
築城年 元禄16年(1703年)
築城者
歴代城主
代表紋 未登録
天守の種類
天守階数
天守形式
曲輪構成
縄張形態 陣屋、代官所
廃城年 慶應4年(1866年)7月
指定文化財
歴史・沿革 川俣を中心とする小手郷は寛文4年(1664年)、70余年に及ぶ米沢上杉藩の支配を離れ幕領となり代官支配のもとに入った。

次いで元禄16年(1703年)、町小綱木村中町松風山東円寺の隣地に川俣陣屋が設置された。川俣は古来交通、政治上の重要な位置を占めていたが、江戸期に入り絹織物生産の隆盛とともに幕府にとっての重要な財源ともみなされ、陣屋設置に至ったものと考えられる。

陣屋跡は昭和47年に廃止されるまで県繊維工業試験場が設置されていた。

川俣の代官支配は戊辰戦争により慶應4年(1866年)7月、官軍の三春方面からの攻撃による大綱木境木口守兵の撤退、代官所役人の米沢への落延びにより、166年間をもって終末をみるにいたった。

その間4人の予り代官を加え40人の代官に支配を受けていた。10年以上の代官3人を除くと平均4年の短期間であった。

代官は年貢微収官としての性格が優先し藩政治と異なる所があった。役人の貢租の増微政策や成績主義などから誅求が起ることも少なくなく、凶作の年、享保14年(1729年)に起った享保一揆も代官岡田庄太夫の暴政に対するものであった。
お城情報
更新情報 【 最終 更新者】匿名城主
【 最終 更新日時】2025/08/31 06:42:03
 
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