基本情報
住所 | 福岡県糟屋郡須恵町大字上須惠 |
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五畿八道 令制国 |
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アクセス | JR香椎線須恵中央 徒歩27分 |
地図 | |
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電話番号 | |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://kyusyu-sky-net.com/castle/castle_1_fukuoka/post_1857/ |
営業時間 | |
築城年 | 永仁元年 |
築城者 | 河津貞重 |
歴代城主 | 河津氏、杉氏(大内氏家臣)、星野氏 |
代表紋 | 未登録 |
天守の種類 | |
天守階数 | |
天守形式 | |
曲輪構成 | |
縄張形態 | |
廃城年 | |
指定文化財 | |
歴史・沿革 | 高鳥居城は永仁元年に九州探題北条兼時(ほうじょうかねとき)に従って筑前入りした河津重貞が築城したと記されている。 杉氏が城主時代の天正十五年に薩摩:島津氏の九州制覇の軍が立花山城を目がけて侵攻するとそれに伴い高鳥居城近郊の宝満山城と岩屋城が落城し遂に高鳥居城にも島津軍が押し寄せる。高鳥居城には八百の兵が籠城するが、島津軍は数万と多勢に無勢の末に武運虚しく落城してしまう。 この時の城主:杉禅正の子と乳母は難を逃れる途中追手の手により打ち取られてしまう。(この話が後の守母神社の由縁となる)島津氏の所領となった高鳥居城だが九州征伐の軍を編成した豊臣秀吉が九州に侵攻すると島津軍は早急に軍を薩摩に引き上げるが高鳥居城には島津氏家臣・星野吉実(ほしのよしざね)・吉兼(よしかね)の兄弟が立て篭もり立花山城:城主の立花統虎(たちばなむねとら)の軍と激戦を繰り広げるも落城し星野兄弟は討ち死にした。 この戦いを「高鳥居城の戦い」とよび星野兄弟他、三百余名全てが戦死した。 後の名将:立花宗茂はこの時十九歳の美少年として出陣し手柄をあげている。 その後高鳥居城は廃城となった。 |
お城情報 | 曲輪、横堀(空堀) 山頂まで西尾根の展望台まで林道が通っているが一般車両は進入禁止になっている。須恵町の歴史民俗資料館に駐車場があり、ここから林道を歩いて登る。 |
更新情報 | 【
最終
更新者】キャッスル 【 最終 更新日時】2024/12/22 20:56:50 |