基本情報
住所 |
静岡県浜松市浜名区細江町気賀 |
五畿八道 令制国 |
東海道 遠江 |
アクセス |
天竜浜名湖鉄道気賀 徒歩8分 |
地図 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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営業時間 |
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築城年 |
永禄11年(1568) |
築城者 |
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歴代城主 |
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代表紋 |
未登録
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天守の種類 |
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天守階数 |
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天守形式 |
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曲輪構成 |
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縄張形態 |
平城 |
廃城年 |
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指定文化財 |
市指定史跡 |
歴史・沿革 |
永禄11年(1568)徳川家康の遠江侵攻に備え、今川氏の勢力下にあった気賀の土豪・斎藤為吉・竹田右京・新田四郎・山村修理・尾藤主膳らの築いた城柵。
都田川南岸の沖積地気賀沖水田に祀られていた屯倉神社を現在の地に移し、その跡地に築いたといわれる。周囲を柵で囲い、浜名湖の潮の干満を利用し、満潮時には舟を使わないと城へ入れない構造になっていた。
永禄12年3月、干潮を待って大攻勢をかけた家康軍によって落城。スキ・クワを武器に立て籠もった農民2500人の多くは討死し、生き残った農民700人も惨殺され、気賀の村は焼打ちになったといわれる。
遺構は区画整理で全く残っていない。一基の首塚と記念碑が建てられているだけである。
天保期の絵図によれば、都田川の本流は現在位置より北を流れ、南に幾本か分流する堀川が流れている。堀川城はその堀川に囲まれた油田側に築かれ、城ノ川・鵜ノ毛川の地名が見える。呉石塔の下は今も「獄門畷」と呼ばれ、「その首を埋めた寺を建つ」たのが前山寺屋敷の円頓寺であると『遠江国風土記伝』に見えるが、明治以降に廃寺となっている。 |
お城情報 |
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更新情報 |
【
最終
更新者】管理者
【
最終
更新日時】2024/03/11 20:41:39
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みんなの登城記録
みんなのおすすめ度
2.0
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登城日:
2023年10月14日
(Wattさん)
おすすめ度:
★★
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登城日:
2023年12月4日
(本多百助さん)
おすすめ度:
★★
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