花沢城 登城記録 (本多百助さん)
写真は
➀本丸の石碑
②花沢の里(国選定重要伝統的建造物群保存地区)の入口
③カントリーオーブン(花沢の里内のカフェ、御城印販売)
静岡県の中世城館跡より
『今川家分限帳』によれば、明応・文亀の頃、構築されたとされているが明らかではない。史料的には『武徳編年集成』の永禄13年正月の条に城主小原肥前守鎮実等今川方が守る花沢城を武田信玄が攻め、開城させたとある。この小原肥前守鎮実は「阿波国古文書」等によれば、大原肥前守資長とも称したようである。
城をのせる丘陵は頂部が海抜142.5mあり、海抜70m付近の等高線を境として独立丘陵的地形をなしており、南側の水田との比高差は約137mとなる。山頂を中心に、西は馬場・成沢、北は花沢・吉津、東は野秋・小浜、南は成沢・石脇の方向に稜線が大きく延び、西大手の馬塲が城表である。現状では丘陵裾部のうち、野秋と東海道本線方向とが採土及び東名高速道路によって大きく破壊されている。遺構は大きく二つの曲輪からなる。すなわち、丘陵頂部にある一の曲輪と、そこから南西方向へ二の曲輪が続き、さらに尾根上に二段の平場がみられる。一の曲輪は南北約70m、幅約20m程で、二の曲輪との間には幅5m程の空堀と堤状をなす連結部をもつ。稜線上に堀切が、斜面上には竪堀がみられる。土塁は現状ではわずかに一の曲輪の西端に残っている。
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