小島陣屋 登城記録 (本多百助さん)
『静岡県の中世城館跡』(1981年刊行)より
別名 小島御屋敷、小島御役所、松平丹後守侯在所
小島陣屋は、江戸時代中期、駿河の小島に立藩した小島藩一万石(無城の領主=陣屋大名)の藩庁で、約160年間にわたって譜代大名の松平(滝脇)氏が居住した所である。
小島藩松平氏の祖は、18松平の1つである滝脇松平氏の出身で、丹波守重信の時、駿府城代に出世した時、知行地を庵原郡と有渡郡に持ち、子の信孝の代になって若年寄に昇進し加増を受けて一万石の大名に列した。その養子となった下野守信治は、領地をすべて有渡郡・庵原郡・安倍郡に集中し、庵原郡小島に陣屋を宝栄元年(1704)に構築して立藩した。信治以降信嵩・昌信・信義・信圭・信友・信賢・信進・信書と続き信敏に至って明治維新となり、静岡藩の成立により千葉県に移封し、桜井藩を起こしここで廃藩となった。
陣屋跡は、清水市小島本町字構内にある。段丘上に存しているが、現在は、蜜柑畑となり鶏舎や人家が建てられ、年々陣屋の遺構が消失しているので早急な対応が必要である。
段丘の中央に藩庁たる御殿が構えられていたが、今は礎石すらなく一面茶畑である。しかし屋敷の区分を示す石塁は、総合的によく旧形を保っており、大名陣屋遺構として貴重である。陣屋表門跡は枡形を形成して幅1.3m、高さ1.4m、長さ22mの両面石塁が東に突出しており、右手に連なる石塁は四段に構えられ、切り込みハギの勾配をなし、高さ4.2mもあり小城郭の構えを示している。
この枡形を右に登ると陣屋の中央部に出る。中央部は、南北約49m、東西51mで、不等辺の八角形をなすが、一部は明治初期に拡張された部分である。中央部の西南端では、特に堅固に石塁が構築さ)、高さ4mに達し、南で2.6mとなっている。中央部の北側に藩西時代に使用された井戸が現存するが、深さを減じている。中央部の東側は、士分屋敷跡となっており、その下方には、狭長の馬場跡が石塁に囲まれて存在したが、住宅地が造成させて、消滅したことは残念である。陣屋跡に残る石塁線をたどっていくと西より南に流れている別当沢に向かって放射状になっていることがわかる。小区画の平地が階段状に配置されていることが特徴の1つであろう。
排水溝は、陣屋跡の表門跡より左に入った付近によく残っており、その工法も精密である。
小島陣屋は、旧甲州街道より西奥へ入った段丘上にあるため、他の陣屋町のように町の中央にはない。陣屋町は、間の宿としての小島宿と混合した形に一部がなっているため、陣屋町の形態や規模、身分による町割などについては今後の研究に期したい。
陣屋が小島に構えられたのは、交通上の要地と幕藩体制内の土地支配の確立とされている。付近に藩主の香華寺である龍津寺、守護神の酒瓶神社、番所跡がある。
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