横地城 登城記録 (本多百助さん)
【静岡県の中世城館跡を要約】横地城は源義家の庶子である家永を始祖とし、横地氏滅亡まで400年間遠江の名族として名を馳せた横地氏の山城で、横地村が本貫地であり、横地姓の発祥の地でもある。
前9年、後3年の役に奥州鎮圧に向かった義家が長雨のため見付の宿に滞在中、相良太郎藤原光頼の娘との間に出来た子が義家の認知を受けて、横地太郎家永と名付けられ、横地村を領するようになったといわれている。
牧之原台地の一支脈が菊川平野に向かって突き出した長さ1.5kmの尾根上に平時の居館を含めた遺構が残っている。丘陵の西端から約1kmで山城に達する。東西約400m、南北300-400mの広さを持ち、3頭型の連郭で、西から城山(標高95m)、中間を中城(90m)、東を東城と呼んでいる。
城山、中城、東城の距離はそれぞれ中心からは約200mで裾端からは50m程である。
おすすめ度: ★★★
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