基本情報
| 住所 | 神奈川県足柄上郡山北町岸 |
|---|---|
| 五畿八道 令制国 | 東海道 相模 |
| アクセス | JR御殿場線東山北 徒歩18分 |
| 地図 | |
|
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。 | |
| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | |
| 営業時間 | |
| 築城年 | 鎌倉時代 |
| 築城者 | 河村秀清 |
| 歴代城主 | 河村秀清 |
| 代表紋 |
未登録
|
| 天守の種類 | |
| 天守階数 | |
| 天守形式 | |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | |
| 廃城年 | |
| 指定文化財 | |
| 歴史・沿革 | 河村四郎秀清は河村氏の祖となった秀高の四男として生まれた。 系図では長兄が柳川二郎則実、次兄が河村三郎義秀で弟が河村五郎秀経なので秀高の最初の男子は幼少時に早世したと思われる。治承4年(1180)に源頼朝が挙兵したとき、秀清はまだ幼少であり合戦には参加していない。 文治5年(1189)の奥州征伐には秀清も少年の身ながら参戦し武功を挙げた。このときの戦いぶりが頼朝の目に留まり、小笠原長清を烏帽子親として頼朝の眼前で元服が行われた。 承久3年(1221)の承久の乱では北条氏に味方して宇治川の戦いに従軍して活躍した。これ以降は秀清の名は見られなくなるが、河村氏の系図では秀清の後裔が嫡流となっている。 |
| お城情報 | 前日からの雨はずっと降り続き止むことがなかった。河村城に登ったあとも一向に天気は回復する兆しもないため、下山をしてからは河村氏一族の居館を訪ね歩いた。この日は雨に備えて新しく用意したポンチョを使ったが、リュックの中にある荷物を取り出したりするたびに着たり脱いだりするため、結局は衣服まで濡れることになった。 河村土佐屋敷には案内板があったが、そこから坂を下った細い路地にある河村秀清屋敷には案内板はなく、石が積まれた区画の隅にいわくありげな石祠の台座があるだけだった。日本城郭大系に記されている土神と秋葉社の名残りがこれなのだろう。 |
| 更新情報 | 【
最終
更新者】匿名城主 【 最終 更新日時】2025/09/20 20:34:35 |
みんなの登城記録
みんなのおすすめ度 1.0|
登城日:
2025年9月21日 10:30
(影武者さん) おすすめ度: ★ 地図上では何も無い交差点が示されているが、河村城入口をしばらく登った分岐地点に説明板がある。この辺り一帯がそうだったようだ。 | |||
|
登城日:
2025年9月21日 10:31
(マリリさん) おすすめ度: ★ |








未登録















日別アクセスランキング




新着・更新情報






お城ニュース

