(かさおかだいかんじょ)

笠岡代官所

基本情報

住所 岡山県笠岡市笠岡
五畿八道 令制国 山陽道 備中
アクセス JR山陽本線笠岡 徒歩6分
地図

※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
電話番号
FAX番号
公式サイトURL
営業時間
築城年 元禄13年(1700年)
築城者
歴代城主
代表紋 未登録
天守の種類
天守階数
天守形式
曲輪構成
縄張形態 代官所
廃城年
指定文化財
歴史・沿革 備中国小田郡笠岡村(現・岡山県笠岡市)にあった代官所である。

現在の笠岡市域は、戦国時代には陶山氏や村上水軍の所領地であった。

江戸初期の元和5年(1619年)福山に水野勝成が転封された際に笠岡は備後福山藩領となった。この時代に水野家は莫大な資本と技術を投入し新田開発、殖産興業を行い現代笠岡に続く主要な市街地が陸地化した。

福山藩は元禄11年(1698年)に5代藩主水野勝岑の死去で無嗣除封となり、福山城下東端の三吉町に三吉陣屋が置かれ一時的に笠岡を含む福山藩領全域が天領(幕府直轄領)とされる。

その後1699年に松平忠雅が福山藩に転封する際に笠岡は引き続き幕府領とされ倉敷代官所領となった。

しかし、倉敷代官の統治する倉敷支配所の管轄範囲があまりに広域にわたり社会制度の差異の大きい地域を統轄する不具合もあり、僅か2年後の元禄13年(1700年)5月に福山藩時代の町奉行所跡地に幕府代官所(笠岡代官所)が設けられ独立。

福山藩の代官経験のある山木与三左衛門が初代代官に任命された。笠岡代官所の成立により倉敷支配所のうち、西部にあたる地域(備中国西部から備後国南部にある幕府直轄領)が移管された、これは大部分が旧備後福山藩領部分にあたる。

笠岡代官所はその後幕末まで約170年間存続し、その間に42代の代官が在籍した。とくに、井戸正明と早川正紀の2名は著名である。
お城情報
更新情報 【 最終 更新者】匿名城主
【 最終 更新日時】2025/08/30 08:21:46
 
※お城や神社、お寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々はこちらよりお気軽にご相談ください。

みんなの登城記録

みんなのおすすめ度 0.0

みんなの御城印

みんなの動画

自分の登城記録

まだ登城記録が登録されていません

自分の御城印

まだ御城印が登録されていません

自分の動画

まだ動画が登録されていません

近くのお城

近くの神社・お寺

このエントリーをはてなブックマークに追加 フォローする

通報

※「情報が異なる」「迷惑情報」を発見された方は、通報するを押してください。

お城検索

※は必須です
 
 
*
 
 

サイト内全検索

最近検索されたお城

阿弥陀ヶ峰城  福地城  由比本陣跡  峰山城  富田松山城  狭間城  岩国陣屋  松倉城  夏蔭城  広見城  大木城  大井田城  金井城  南八田城  瀬戸川城  井田城  狩宿城  龍田城  蓮台寺城  倉ヶ岳城  向田館  徳丸城  得田館  野崎城  温井館  羽崎城  荒戸城  鶴賀城  大曲城  土田城址  貝吹山城  久玉城  矢崎城  笹尾山(石田三成陣地)  上井城  鴨打陣城  花城山城跡  下平城  田辺城  日野山城址  日山城  贄川城  三峰城  小谷城  霜田館  平柳蔵人館  藤波和泉守屋敷(藤波陣屋)  今川氏館  鳩谷兵衛尉重元館  鳩ヶ谷陣屋  当目砦  軽島豊明宮  無量寺館  大串次郎重親館  御所陣屋  谷津城(谷ツ遺跡)  橋倉城(大野城)  玉川陣屋(玉川代官屋敷)  大山館  北館(北遺跡)  細田山城  金窪南城(金窪南館)  金窪城(太瑯城・金久保城)  勅使河原丹次郎直次館(勝場城)  志水三郎光俊館  九左衛門屋敷  次郎兵衛屋敷(多田新十郎屋敷)  春日部左衛門尉重行館  石川屋敷  島村屋敷  才羽陣屋  豊後屋敷  細谷屋敷  横瀬六郎左衛門屋敷  机ノ平砦  朝日長者屋敷(日向館)  古御嶽城  大博士城  下麻生城  阪本城跡  宮川陣屋  西大平陣屋  田宮館  柿木大膳館  新屋敷  南鬼窪小四郎行親館  長宮城  福岡城(富永善左衛門守定館)  戸張九右衛門胤房館  吉川三郎館  熊井城  関根兵庫館  吹上館  白子城山  人見館跡  別府城  東方城  片山右馬允広忠館  野火止陣屋  百ノ井屋敷(桃井屋敷・戸田御所・多吹苑) 

何を投稿しますか?